フラメンコの本場で注目されている期待のダンサーマヌエル・レージェス。
現代の多様な芸術に影響されながらも、ダンサーとして、その将来は大いに期待されている。
その底知れぬ将来性は、1994年の首都マドリッドにおけるフラメンコ振付コンクールでの、最優秀振付賞の受賞ですでに実証済みです。

【パセオフラメンコ掲載記事より】
すごい足である。
ただ早いだけではない、おなかに響くような重い音をもっている。
靴音だけではなく、彼の踊りには貴公子然とした顔からは想像しがたいような重量感がある。
彼をよく知る人は「詩人だ」という。
まさに、彼の踊りには、詩そのもの。
特に1996年の初来日で見せた、思いがけない重さと深さ。
20歳そこそこの若者が、シリアスな曲を何と厳しく、純粋に踊っただろう。
ヒターノの根っこの上に、クラシックバレエで鍛えた体をもつ。
革新的なことを続けながら、あくまでフラメンコ。
彼の追及する「自分の道」とは……。
菊地裕子(フリーライター)
ABC新聞1995年7月23日 日曜版掲載記事より

初めて見たマヌエル・レージェス、体調万全ではなかったが、とにかくすごい力の持ち主であることは分かり、びっくりした。片足だけのサパテアードなどという離れ業があり、これは新人類だ。緊張の連続で、良い疲れを感じた。
マヌエルのいう「エレガント」は彼に当てはまる。構成はきっちりと計算して決めているが、その中での踊りは自由で自然。個性を光らせ、巧みなバランスでエネルギーを飛ばしていた。
音楽・舞踊評論家 高場将美 パセオ掲載記事より

すごい足である。ただ速いだけではない、おなかに響くような重い音をもっている。靴音だけではなく、彼の踊りには、その貴公子然とした顔からは想像しがたいような重量感がある。
マヌエル・レージェスと彼のグループの公演は、フュージョン色濃厚な音楽のノリがよく、大いに会場を
沸かせた。マヌエルは、気質、資質ともに申し分のない踊り手で、熱い共感を誘う。全体に楽しい仕上がり。
フリーライター 菊池祐子 パセオ掲載記事より

マヌエル・レージェス・マヤ プロフィール
マヌエル・レージェス・マヤ
1974年2月5日、コルドバ出身、
ジプシー一家に生まれる。
7歳より踊りを始め、9歳の時スペイン国立バレー団の作品メディア出演の依頼がある。
その後作品(タラントス)にも出演、15歳まで国立舞踊学校にてレッスンをうける。ホセ・グラネーロ監督のマドリッド州立スペイン舞踊団の第一舞踊手を務めながら、メルチェ・エスメラルダ監督のムルシア州立舞踊団に参加。
1993年ビージャ・デ・マドリッド劇場に自作品“スウニョ・デ・フラグア”で兄、アントニオ・レージェスと共演、批評家の絶賛をうける。
1994年、同作品はフラメンコ界では重要な位置を占める。サラ・レボルベール・マドリッドにて上演。同年9月、アントニオ・カナーレス舞踊団にて作品“トレロ”に出演。
1994年度、兄アントニオと共にスペイン振り付け賞受賞。
1995年、ホアキン・コルテス舞踊団に客演。現在自分の舞踊団を形成中。
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