【原作】辺見じゅん「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」より
【作・演出】ふたくちつよし
2005年8月13日~8月15日吉祥寺シアター【初演】
【出演】平田満 阿南健治 新納敏正
2006年7月25日~7月30日シアターΧ【再演】
2008年7月30日~8月3日紀伊國屋ホール【再々演】
【出演】平田満 新納敏正 新谷清水
2010年7月7日~7月11日東京芸術劇場小ホール2【再々々演】
【出演】下條アトム 新納敏正 大出勉
終戦からどれだけ月日が流れても、今尚、戦争の文字が日常から消えることはない。
この不透明な時代に、戦禍が引き起こした悲劇をテーマに、あらゆる表現を通じて
反戦の運動が繰り返されてきた。演劇も然り。
この作品の原作は数々のノンフィクション賞を受賞した辺見じゅん著『収容所から来た遺書』
である。第二次大戦後、シベリアに抑留された男たちの物語。
敗戦から12年目に遺族が手にした4通の遺書。ソ連軍に捕らわれ、極寒と飢餓と重労働の
シベリア抑留中に死んだ山本幡男氏のその遺書は、彼を慕う仲間たちの驚くべき方法により
厳しいソ連監視網をかいくぐったものだった。
悪名高き強制収容所に屈しなかった男たちの、したたかな知性と人間性を発掘した辺見じゅん珠玉の書。
声高に戦争の罪などを問うわけでもなく、ただ真摯に生きる人間の姿を淡々と描くこの書の中に、
これからの生きるヒントがいくつも隠されている。
彼らにとって、ダモイ(帰還)は見果てぬ夢だった―
1945年
8月8日 ソ連、対日宣戦布告。
8月9日 ソ連軍攻撃開始。
8月15日 ポツダム宣言受諾。
8月16日 スターリン、トルーマンに北海道北半分占領に関する秘密文書を送る。
トルーマン拒否。
極東、ソ連軍との戦闘状態が続く。
8月23日 スターリン指令『日本軍捕虜将兵50万人をシベリアに移送せよ』を発表。
9月2日 日本、降伏文書に調印、9日戦闘状態停止。満州や南樺太などの地から軍人、
民間人を含め60数万人以上シベリアへ送られる。
1946年12月19日 日本人捕虜の引き揚げに関する米ソ協定締結。
以後、日本人捕虜の期間が始まる。
1950年 4月22日 タス通信を通じてソ連政府は
『日本人捕虜の移送完了』を宣言。この物語はここから始まる。
シベリア強制抑留をされた人数は、60万人とも70万人とも言われ、シベリアの地で亡くなった人たちは、
その一割に上り、帰還した人たちは47万数千人。
現在、なおも正確な数値は不明である。