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【第395回】


1968年〜1969年に連続ピストル射殺事件として、当時19歳の殺人者、永山則夫。
1997年48歳で処刑された後、設立された「永山子ども基金」がペルーの貧しい子供達に活かされてるとの報道が、昨日の新聞に報道されていた。
永山則夫がバイトしていた新宿歌舞伎町のジャズ喫茶ヴィレッジヴァンガードにもよく行っていたし、新藤兼人監督「裸の19才」の映画も強烈だった。獄中で書いた「無知の涙」に涙した。同じ人間として生を受け、何故これほどまでの環境に曝され、これほどまでに改悟していくのか…同時代に生きた人間に多くの暗示を指し示した人物であった。
その彼が死刑執行前に、本の印税をペルーの貧しい子供達に役立てて欲しい!その希望が叶い、基金で教育を受けた子供達が成長し、この活動を支えるまでになった。永山則夫は生前「自分と同じ子供が生れないよう、無知から子供を救いたい…」犯した罪を消し去ることは出来ぬとも、新たな生を獲得し人のために生きようとする永山則夫に対して拍手を送りたい。法すれすれのところで、あくどいことをやらかし、のうのうと生き続けてる輩が世界を支配する昨今、永山則夫の魂はキラキラと輝いている…
最近読んだ死刑囚の句4編

幸せは
ひとつで足りる
鬼あざみ

革命歌
小声で歌ふ
梅雨 晴間


よごすまじく首拭く
寒の水

叫びたし
寒満月の
割れるほど

 





夏の樹


 

2012/8/28  岡田潔