トムプロジェクト

2015/11/30
【第757回】

今日は11月30日、今年も、いよいよ残すところ1カ月となりました。本当に月日が流れ去る速度が年々早くなっている気がします。残された人生なんて考える歳にもなりました。

でも、人間、特に男はいくつになってもガキですな...いい意味ではいつも少年のような夢を追いかけながら浮遊しています。子供も産めない男にとっては夢とロマンと冒険にゆだねるしかないんでしょうね。でも、これすら諦めてグダグダと時間を垂れ流している男どもがいるんですから情けなかです!ただの働き蜂で終わるのか、飲兵衛でごまかすのか...いやいや、この世に生まれたからには世の中になんかお返しせんかい!

この前、美しい白馬を見てきました。馬の目は、静かですべてを達観したような感じがします。それはあくまで人間から見た感じ方で、馬はまた違うとらえ方をしているのかもしれません。こんなわけで、この果てしない宇宙の中に生息している生き物の一種でしかない人間なんだから、もう少しは謙虚に生きないかんですばい...新聞広げると、いつものようにあちこちでドンパチの記事。いつの世も弱い者が被害にあってます...死ぬまで言い続けたい!憎悪からは何も生まれない...

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白馬

2015/11/27
【第756回】

昨日、熊本県荒尾市での「南阿佐ヶ谷の母」の公演に行ってきました。荒尾市は福岡県大牟田市三池炭鉱と並び炭鉱で繁栄した時期がありました。万田坑は平成10年に国の重要文化財にも指定され、日本政府からユネスコへ世界遺産候補として正式に推薦され、平成27年の世界文化遺産登録を目指しています。駅前には、そのモニュメントが建っていました。その駅前からタクシーで会館に行ったのですが、暗い夜道に人影もなく、果たして今日の公演の集客は大丈夫だろうか?という不安が過りました。荒尾総合文化センターに着くと、その不安を吹き飛ばすように、続々と観客が集まっているではありませんか...公演は無事、とんとん拍子で幕を下ろし、終演後キャストの皆さんと地元の馬刺しを中心においしい酒を酌み交わし、ラスト2ステージよろしくということで別れました。

九州に行くときは、97歳になる母に会うのが楽しみです。さすがにあと何年というところまでやってきました。おいらの顔を見ると嬉しそうな顔をします。一番心配していた息子が晩年親孝行したんで喜んでいるんでしょう...苦難の引き揚げから夫を亡くし5人の子供を育て上げた母は偉大です。こんな母のためにも一人前の男にならんといかんばい!という思いで生きてきました。別れるとき母の手を握ると、強く握り返し「酒飲みすぎたらいかんよ...」といつものアドバイスを返してきました。

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母が描いた仏画

2015/11/24
【第755回】

先週の土曜日、10月5日に亡くなった演劇評論家・村井健のお別れの会が、紀伊國屋ホールロビーで行われた。村井は生前、建前、権威、馴れ合いを非常に嫌っていた。その村井の意思を尊重し、お偉い人の挨拶もなし、来てくれた人が小さな紙に簡単なメッセージを書き、遺影の前に置くだけのシンプルなものだった。200人ほどの人が、村井に様々な思いを伝えた。そのあとは、希望者だけで近くの中華レストランの地下に三々五々集まり談笑。130の人たちが村井を偲んでいた。村井の娘さん夕さん、息子さん空君も嬉しかったのではなかろうか...

村井は、本当に武骨で生き方が不器用ではあったが、真の侍であった。藤沢周平の小説に出てくる登場人物を彷彿させる。おいらと一度だけ激論したことがある。それは学生運動が激しい大学時代の時である。村井は全共闘の闘士でありリーダーでもあった。おいらに再三デモへの参加を呼び掛けてきたが、おいらは断り一人で闘うと言ったところ、村井は日和るのか!と責めたので、おいらは「数の力なんて信用してないし、ゲバ棒と投石で世の中変わるわけないだろう...所詮、学生なんて親のすねかじりばっかりだろう!俺は俺の生きてきた人生を信じて闘うし、組織に組することもないから二度と誘うな!」こう激しく口論したあと暫くは会うこともなかった。その後、彼が演劇評論家としてデビューして再会を果たした。

村井の笑顔は素敵だったな...特に怒った後の笑顔、お前は本当はとっても優しい奴だったんだな...簡単に笑顔を見せると社会・ニンゲン思い上がるから、仏頂面の演技してたんだな。

村井!もう彼岸の世界に逝ったんだからいつもの素敵な可愛い笑顔でのんびりしてくれ。

村井!50年間ありがとう...おまえに出会えて嬉しかったよ!

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お前のこと忘れないよ!

2015/11/20
【第754回】

最近知人からよくこんなことを言われて困っています...「見ましたよ!驚きました...」いやいや、今BSテレビで、あの人気番組「鬼平犯科帳」が再放送され、おいらがかつら付けて盗賊役で出演しているのを見てびっくりしたみたいですな。今から22年前、おいらは役者なんかやっていないときに1本の電話が松竹からかかってきました「貞永方久監督指名であなたに出演して欲しい...」そう言えば20代の頃にやっていたアングラテント芝居を監督が観に来て誉められたことがあったっけな。でも、その時はただの風来坊、そんな人気番組を汚すことになったら監督に迷惑がかかるのではと思ったのだが、折角監督が声をかけてくれたのだからと出演を受諾。冬の京都太秦撮影所に馳せ参じた次第です。全くの無名の人物ながら監督指名の力は偉大で、床山さん、衣装さんにも虐められることなく、撮影時間待ちでドラム缶にくべられた薪で暖を取っていました。10人くらい取り囲んでいたのだが、おいらだけ黒装束のいでたちで革靴履いていたので、周囲の人から侮蔑の目で見られておりました。しまった!すべてが準備不足、履物も持って来てないし、衣装の下に着る下着もなし、ありゃらんらんの状態ながら、気持ちは十分に高揚しとりました...翌日、侮蔑の目で見てた俳優の態度ががらりと変わりました。おいらの役がゲスト主役の次ぐらいの役だったんでびっくりこいたんでしょうな。「どこの事務所に所属されてるんですか?」いやただの素人、素浪人でござんす...今にしてみれば、懐かしく楽しい時間でございました。数年前に貞永監督も亡くなり、お別れの会に出席し監督にお礼を行ってきました。
ちなみに、作品は、鬼平犯科帳 第4シリーズ 10話「密偵」でした。おいらの役は縄抜けの源七。

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紅葉2015

2015/11/18
【第753回】

世界は、大惨事世界大戦に突入しました...憎しみの連鎖は本当に怖いし、果てしない泥沼状態を生み出します。唯々、武器商人を喜ばせるだけです。イラク戦争がきっかけでした、世界はバランスで成り立っています。政治、宗教、民族の違いがあって当然だし、よそ者が勝手に手を出したばかりに平行感覚を失い、被害者が加害者に変貌し取り返しのつかない結果を招きます...悲しいかな人間は歴史を学ぶことが出来ない生き物でしょう...不便を便利に変えたばかりに失ったモノは計り知れない。そんなに金が欲しいのか!そんなに権力を手に入れたいのか!そんなに見栄をきりたいのか!本当に悲しくなります...フランスが報復、「自由・平等 ・友愛」の国旗が泣いてます。テロとの戦い?テロの増大に繋がるのでは?

所詮、核を保持している国が、世界平和を唱えても嘘くさい...核と兵器のお金で、世界の困窮した人達をどれほど救えるか...やはり、愛する地球を滅ぼすのは癌細胞ニンゲンです。こんな時代だからこそ、少数でもいいから自然を愛し、人を慈しむ心優しい人間でありたい!

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貧しくとも平和な世界

2015/11/16
【第752回】

ジャズ好きなおいらにとってたまらない映画観てきました。「セッション」ドラマーを目指す青年と熱血教師との一騎打ち。話は、実際に体験した恐怖のレッスンを基に脚本も書いた俊英デイミアン・チャゼル監督による作品。緊張感溢れるカメラワーク、効果的な音楽、何処にも居るような青年役のマイルズ・テラーのラストのドラム捌きは鳥肌モノ。日本の舞台演出家・蜷川幸雄を彷彿とさせる教師役のJ・K・シモンズが、これまたいいんですな。外国の俳優には、こんな実力、存在感を持ち合わせた俳優がうじゃうじゃ居るんでございます。役づくりしているのか、そのものなのか、虚像と実像を巧みに創造しているほんものの役者に拍手!1935年にデューク・エリントンが作曲したキャラバンが何度も流れるが、この映画を観て全く別物の音楽に聞こえてくるのも、この映画がもたらす人間ドラマの凝縮度からであろう。

それにしても、飯田橋ギンレイホールが放つ、珠玉の名画のラインアップ。敬意を表します。まさに、映画好きがある集まる聖地ですな。いい映画を見終わった後の、お酒が、これまた旨いんですな。名画と銘酒、これだから人生やめられませんな...

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新宿御苑

2015/11/13
【第751回】

今年も残すところ一ヶ月半になってしまいました...新宿のお店もこれから年末に懸けて様々なデコレーションで街を華やかにしてくれるでしょう。中でも、伊勢丹の飾りは、さすが日本一のデパートらしく夢とロマンと遊び心で、道行く人を楽しませてくれます。お金もかかることとは思いますが、ここは思いっきり魅せつけて欲しいですな...その点、京王、小田急、高島屋は遅れをとっておりますな。京王デパートは、今やおばさん達の聖地になっています。一階の店に並ぶ、靴、傘、ショールなどなど小物用品の値札につけられた¥3000に吸い寄せられるように群がり漁っております。なんだか、本当に安いのか?ちょいと疑問を持たざるを得ないのだが、ここは集団心理をうまくついた商法でよござんす。

それにしても、今日の新宿の通りから聞こえてくる会話の半分近くは中国語。日本国の中国化もホントにホントになりますがな...

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伊勢丹

2015/11/11
【第750回】

「南阿佐ヶ谷の母」昨日で無事、東京公演千秋楽を迎えることが出来ました...沖縄での、まさかの木の実ナナさんの骨折から心休まる日がありませんでした。能天気なおいらに、たまにはハラハラドキドキせんといかんばい!とのお達しがあったんでしょうな。でも今回はきつかったな...でも強力スタッフ、キャストの結束で何とか乗り越えられましたな。でも、まだまだ油断は出来ません。これから旅に出るんでございます。11月14日から12月1日まで東北、関西、九州、最期は北海道、計10ステージが残ってます。木の実さんは勿論、みんなの健康と無事を祈るのみ!

それにしても、昨日の国会予算委員会、大臣の香典問題の追求も分かるけど、もっと肝心なことがあるだろうに民主党。これじゃ、支持も増えんですばい!おいらが頭に来てること、確か今から3年前、当時民主党の野田首相と自民安倍党首で議員削減の約束したんじゃなかったの?議員一人年間3千万の税金を、どれだけ他のところにまわせることか...自民は勿論、他の野党も積極的に取り組まないから、おいらは今でも政治家信用できません。そんな人達が、えらそうな顔して国を治めてんだから、こりゃ絶望的ですな。

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つわものどもがゆめのあと

2015/11/09
【第749回】

おいらも後3ヶ月すると70歳になっちまう...今年は知人が次々と居なくなっちまう。つい最近まで話していたのに、何だか狐につままれた感じだ。ついこの前も、今やってる芝居いつ来るんだい?と思わず村井健に電話しそうになっちゃった。川島なお美さんも、ふらりと劇場に来そうな気がしてならない。劇場のロビーに立つのもプロデューサーの大切な仕事なんだが、いつも来るはずの人が来ないことで亡くなったことを改めて知らされる次第だ。劇場のロビーは、日頃逢わない友人知人の生存確認の場でもあり、この歳になると、あと何回逢えるのかな?なんて思ってしまう。先週金曜日に、芝居を観に来た風間杜夫ちゃんと終演後の飲み会で、おいらが死んだ暁には杜夫ちゃんが葬儀委員長をやるなんて言ったもんだから、おいらは100歳まで生きるから風間杜夫の葬儀はおいらが仕切ってやるとお返ししました。いやはや、こんな話をするような歳になっちまっただ...

生きてこそ生きてこそ 今ここから始まる

生きてこそ生きてこそ 広がってまたつながる

こんな歌があったな...生きてこそなんぼの世界や...

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根は一つ

2015/11/06
【第748回】

「阿佐ヶ谷の母」の心労の影響か、右目がウサギちゃん状態になっちゃいました...過去にもこれに近い苦難の日々はありんしたけど、今回はメガトン級でございます。心臓がパクパクしちゃって、お目々の血管が破裂したんでしょう。病院に行くと結膜下出血との診断、まあ10日もすれば治まるんじゃないの?考えてみりゃ、芝居の興業なんてものは博打みたいなもんで、役者のアクシデントも織り込み済みでスタートしてるみたいなもんです。大手劇団であれば稽古中もアンダーなる者を付けて、いざとなれば代役出来る按配で進行していくのですが、おいらのところは少数精鋭主義の集団であるからして、そんな余裕はありません。後は野となれ山となれの心境というか、神のみぞ知るの開き直り精神でやってきました。

日頃の行いが良いのか?芝居の神さんが守ってくれてるのか?いずれにしても21年間なんとか少々の苦難も乗り越えてやってきました。ほんまにナマモンは怖いけど、そのハラハラドキドキもスリル満点で、眠った細胞に刺激を与えていいのかもしれませんな...なにせ何事もプラス思考に持って行くおいらの習性、どんまいどんまい。

さあ、今日の公演も入れて地方含めて15公演。頼みまっせ!芝居の神さん。

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2015/11/04
【第747回】

昨日、「南阿佐ヶ谷の母」東京公演、無事に新宿紀伊國屋ホールで初日を迎えることが出来ました。いやいや、芝居の中身より幾多の波乱のドラマを抱えての初日でした。先月の沖縄公演の二日目の朝に、出演者の木の実ナナさんが大腿部を骨折。おいらが、ホテル近くの読谷の綺麗な浜辺を散策し帰ってくると、なんと木の実さんが、今まさに救急車で運ばれてる最中、タンカに横たわってるナナさんを見て、おいらは顔面蒼白。沖縄北谷公演の開演を3時間後に差し迫ったこのタイミング、そりゃ覚悟しました。公演中止!この日を楽しみにしていた沖縄の人達のことを思うと身が引き裂かれる思いがしました。500人のホールのチケットは既に完売しており、公演関係者にも多大な迷惑を掛けることになり、おいらの心中穏やかではありません...早速、演出家水谷氏と二人で病院に向かう、車中、水谷氏と中止になったときの策を考えるのだが、やはり最悪でも車椅子で公演できるナナさんの状態を願うばかり。病院に着くと開演二時間前、診断した先生に病状を聞くと大腿部骨折、車椅子でやれないことはないが、悪化すると、その後の処置が大変だとのこと。こちらはやって欲しいとの意志を伝える。あとはナナさんの判断。ナナさんは車椅子でやりたい!との意志を医師に告げる。早速、応急措置をして頂き介護タクシーを呼んで会場に向かう。開演まで1時間半前、早速、車椅子による場当たりをやり、30分開演時間を延ばして貰って上演。ナナさんの痛みを堪えながらの女優魂、共演者の見事なフォロー、スタッフの迅速な対応により公演は見事成功。ほんまに涙がちょちょぎれました。

翌日、ナナさんは帰京し手術。手術の結果次第では、またしても東京公演、地方公演の中止もあったのだが、無事成功。あとはリハビリと術後の経過を見ながらも、なんとか初日を乗り切りました。

今回の総力戦、あらためて芝居は誰ひとり欠けても出来ないし、なんとかいい芝居を創り、来て頂いたお客様に見て貰いたい!そんな気持ちがひとつになった初日でした。

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シーサーに守られました