トムプロジェクト

2017/01/30
【第915回】

運転免許の更新、本日無事、新宿都庁の運転免許更新センターで済ませてきました...昨年、高齢者講習会の案内が来ました。おいらもとうとう高齢者(何度も言いますけど、おいらは肉体も精神も感性も20代だと自負しておりまして、甚だ遺憾でございます)になっちまっただ...よく読んでみると、車の運転実習もあると書いてある。おいら、考えてみれば20年以上車のハンドル握っておりません。しかもAT車なんぞは慣れておりません...いやはや、海外で逆走したことや、一時間運転してると眠くなることなんぞが頭を過ぎります。横の教習所のおっさんに手厳しく「もう一度、教習所で実習してからでないと駄目ですね...」なんて言われるのも癪だし、この際、世間では高齢者による事故の多発が報じられてるし、免許証返上しようかな?なんて考えたのであるが、おいらの性分としては、こんな時にしか車を運転する機会がないんだし、どんなもんだか楽しんでみましょう!なんてポジティブシンキングになっちゃうんですな...武蔵境の教習所に行くと12人の講習者が集まってました。まずは1時間の講義、やたら高齢者の事故が増えてることを強調しまして、なんだか免許証返上を暗に臭わせてる感じがいたしました。2時間目は適性検査、模擬の運転台に座って画面に出てくる歩行者、自転車に対してブレーキ踏んだり、アクセルを操作したり、俊敏性のテスト。おいらは間違い無しのパーフェクト、お隣の2人の画面をちらと見ますと3個、4個のバッテンが付いとりました。ほらほら、おいらは20代と言いましたでしょう...さて、いよいよ3時間目は車の運転、3人が同時に乗り、おいらは2番目。これが良かったんですな...最初のおっちゃんが教習員に聞かれました「どのくらいの頻度で乗ってますか?」「1年くらい乗ってません。」おいらも、この答えで行こうと決めました。「20数年乗ってません...」なんて言おうものなら教習所通いで何万円ものお金を提供しなければなりません事よ。いよいよ、おいらが運転することになりました。車庫入れが?なんて不安が過ぎりましたが、機に敏なるおいらのこと、信号の見落としが1個ありましたがなんなくパスいたしました。
でも、調子こいてハンドル手にすると、おいらのスピード狂が昂じて抜きつ抜かれてのレースとなり、穏やかなおいらの顔も般若の形相になった経験もあることだし、今日頂いた免許証も引き出しにしまっておきますがな...そして、又いつの日かハンドルを手にして、スペインのコスタ・デル・ソルの海岸を疾走する姿を夢見ながら...

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一月の空

2017/01/27
【第914回】

連日寒い日が続いています...この時期、家から眺める裸木、散歩中に目にする裸木がとっても好きです。無駄なモノを削ぎ落とし屹立した姿に感動すら覚えます...春夏秋、様々な人生を過ごしている人達に、いろんな彩りを添えながら、しばしの安息を与えるが如く何気なく咲かせてる花、葉にどれだけ助けられてることか...この世の中に樹木が皆無になった地球を想像しただけで、空恐ろしい気がします。野に咲く何気ない草、小花から何百年も生き続けている大木に至るまで、おいらはこれらの植物と共に共生していることに間違いはありません...裸木の微妙な枝振りを観ながら、情念を押し殺し舞い踊る暗黒舞踏を想像したり、小枝が春に備えて蕾が微かに膨らむ様を見て生命の不思議を感じたり、身繕いしないで勝負している姿に古武士と対峙し、ふと緊張したり、裸木はいろんな表情でおいらに語りかけてきます。
おいおいトランプさん、カードを出すのが早すぎませんか...ちょいと一息ついて、ホワイトハウスの黙して語らない自然体で立ち続ける裸木を静かに観ておくれ...お金のことしか考えていない人種は困ったもんでございます。

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踊る裸木

2017/01/25
【第913回】

山下澄人著「しんせかい」を読み終えた夜に芥川賞が決まった...19歳の作者が、あの倉本聰さんが主宰する、北海道の富良野塾で2年間過ごした30年前の出来事を冷徹な目で捉えた作品である。倉本聰さんのことを「先生」と呼び、住んでた町を「谷」と何度も復唱しながら、自分探しを小説という形で表現した不思議な物語である。作者は目の前にする事実をフィクションに立ち上げたいのだが、上手く言葉にすることが出来ない。その微妙な息遣いがまるで戯曲を読んでるように、こちらの想像力を喚起させてくれる...そこで、作者は過去の自分を思い出そうとするのだが、その過去もどこか曖昧で不確かで答えを出すことが出来ない。それをまるで、その場にいる空気感で言葉にしているところが新鮮だ。作者は22年前の阪神淡路大震災に遭遇し、東日本大震災の事実を目の当たりにして人の生き死にある感慨を抱きつつ、こんな小説を書きたかったのではなかろうか...「先生」と「谷」との間に過ごした時間と居住まいが淡々としながらも内なるマグマがメラメラと感じさせる新しい小説の誕生かも知れない。
なんと言っても、おいらが気にいったのは良くある青春ドラマでも無く、上昇志向皆無の佇まいがほんまによかですばい!己の中にしか「先生」神は存在しないのです...

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裸木と夕陽

2017/01/19
【第912回】

いよいよ明日トランプ登場...これからの世界は何となく第二次世界大戦前の状況に似てはいないだろうか?この期に及んで、世界のあちこちでポピュリズムが台頭し不穏な様相を呈している。トランプには政治的理想、理念が皆無で、集団的熱狂を煽り立て、理性的な議論よりも情念や感情を重視する演説に終始している。あのヒトラーに相通ずるモノがある。アメリカだけではなく、この傾向が世界に蔓延しているのが恐いですな。壁を造り、自国の利益のみを志向する指導者が増えていけば第三次世界大戦も起こりかねない情勢です...そんななか、アメリカの名女優メルリストリープのスピーチは、さすがだと思いました。

この国で最も敬われる地位に就こうとしている人が、障害を持つ記者の物真似をした時のことです。その人物は、真似された記者よりも遥かに強い特権と権力を持っています。それを見たとき、私の心は折れそうになりました。今でも頭から払いのけることができません。なぜならそれは映画の中ではなく、現実の出来事だったからです。
権力を持つ公人がこのような侮辱的パフォーマンスをすることは、人々の生活に影響を及ぼし、また、人々に「自分も同じことをしていいのだ」という認識を植え付けてしまいます。軽蔑は軽蔑を招き、暴力は暴力を煽ります。権力ある者がその力を弱い者イジメのために使ったなら、私たちは皆負けてしまいます。
これはメディアにおいても言えることです

仕事が無くなるかも知れないのに、ここまでトランプ批判発言を堂々とやってのけるアメリカはさすがです。おいらが好きなレディー・ガガも公然とトランプ批判をしています。その点、日本の芸人さんはなんとなく事なかれ主義のところに安住しとりますな。ほんなごつぼけっーとしてたら、この国の若者も戦場に行かねばならない状況がひたひたと押し寄せて来てるのに、今日もあんちゃんねえちゃん呑気にスマホぴこぴこやっとりますし、おっちゃんたちは焼き鳥食べながらたわいもない話で盛り上がってますがな...

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裸木2

2017/01/18
【第911回】

昨日、渋谷に芝居を観に行ったのだが入場料¥10000...芝居の内容はさておいて、おいらの感覚からするとちょいと高くありませんか?この世の中、庶民の皆様が一生懸命働いて一日¥10000なんて言う数字が平均ではなかろうか...一日働いて得たお金が二時間の観劇と等価かどうかは個人差があるにしても、こうやって芝居を創ってるおいらとしては、とてもじゃないけど心苦しく思いますな。こんな高いお金取ってまで芝居創らないかんのかいな...トム・プロジェクトは23年間90本ほどの作品を企画制作してきましたが¥5000以上のお金を頂いたことはありません。消費税が上がったときも、税理士さんに言われました。「上がった分、チケット代に加算していかないと大変なことになりますよ...」そりゃそうだ!経済原理からしても至極当然なことであるし、経営者として当然やるべきだと思うのだが、そんなお金掛けてまで芝居を創る必要があるのか?と、思ってしまいます。限られたお金の中で創意工夫しながら良質な作品が創れるはずだし、それを成し得るのが優れた企画制作者ではなかろうか...人間の叡智は果てしない無限の可能性を秘めているし、それを信じたいと思います。高いチケット代を設定しないと演劇やれなくなったら、おいら足を洗います。観る側も創る側も、無理なく劇場に足を運べる環境で継続できることをモットーに今日もあれこれ思いを馳せておりますばい...

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裸木

2017/01/16
【第910回】

先週の土曜日、下北沢の本多劇場に木の実ナナさんのコンサートに行ってきました。一昨年のトム・プロジェクト「南阿佐ヶ谷の母」の沖縄公演で、大腿部を骨折しながら車椅子で公演を続けたナナさん、その後を心配していたんですが見事な公演でした。2時間休憩無しで歌い弾み、骨折の後遺症を感じさせない復活振りでした。70歳になるのに美脚と笑顔はまさしくショーガールそのもの、55年のキャリアをまざまざと魅せつけてくれました。芸人のしたたかさ、ど根性は半端じゃございませんな...そして、なによりも歌が大好きなことが身体全身から溢れ出ています。美空ひばり、石原裕次郎、越路吹雪さんたちの歌を尊敬しながら愛をこめて歌う姿に、聴き手も思わずうっとりとしてしまう立ち姿に拍手。様々な環境の中から身につけた庶民の哀感を、己の懐にしっかりとしまい込み熟成させ肉体を駆使しながらお客に伝える芸人は、やはり選ばれし民だと思いますな。努力したから出来るモノではございません。人生の諸々を享受する受信器と、人に伝える発信器が優れてないと駄目なんです。だからして、この世の中の若者に言いたい!舞台に立って台詞喋ったり、騒音まがいの歌を歌ったり、汗かきながら狂喜乱舞したから役者じゃありませんことよ...己の限界を早期に気づき、違った人生に軌道修正することも、勿論有りですよ。だって、生きる楽しみ、それこそ十人十色、自分探しにも繋がる大冒険の旅ですぞなもし...

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元気になったナナさん

2017/01/13
【第909回】

今年のトム・プロジェクト最初の作品「萩咲く頃に」がスタートしました。2014年に創った作品です。東日本大震災から3年目、この事実に向き合えるにはそれなりの時間がかかり、なんとか舞台に出来たと言うのが正直なところです。水俣、震災、戦争などなどテーマは重いけど、誰かが声をあげないとなし崩し的社会の流れで人の記憶から薄れていくのが、おいらはどうしても容認できまっせん。芝居も興行ですから、楽しく面白く日々の辛さから逃れられる作品が好まれるのも重々承知の上のことでございます。そんなおいらの思いに共感してくれるスタッフ、キャストの皆さんには本当に感謝しています。志を共有できる芝居仲間がいる限り、まだまだ芝居創ってみようかなと思っていま...本音を言うと、この日本のあらゆるシステムについて呆れ絶望してます。そんな社会に見切りを付けて、おいら歳も歳だし晴耕雨読なんて生活もいいんだが、心身ともに青年だもんで(と勝手に粋がって勘違いしてるかもしれませんことよ)ついつい内なるカルマが頭をもたげ、このまま傍観者でいてたまるか!なんてことになっちゃうんですな...

「萩咲く頃に」1月10日に横浜でスタートしました。5人のキャストのチームワークがすこぶるよく初演に比べてレベルアップしていました。終演後、音無美紀子さんの旦那様、村井國夫さん共々初日の乾杯を、みなとみらいの夜景を眺めながら乾杯しました。2月一杯、中部、北陸を巡業し、3月の下旬に東京公演。今年も、こうやって無事にスタートできたことに唯々感謝です。まだまだ芝居の神さんトム・プロジェクトを見捨てておらんですな...ありがたいことでございます。

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みなとみらいの観覧車

2017/01/10
【第908回】

辺見庸「1☆9☆3☆7」、佐野眞一「唐牛伝」、鳥居歌集「キリンの子」を読了...先ずは辺見庸の圧倒的かつ濃厚な380ページにわたる文体に、彼の遺書めいたものを感じる。1937年に起きた南京大虐殺を軸に、当時戦地にいた父が中国人を殺めたに違いないと言う思いから、当時軍に協力した作家、映画人を次から次にぶった切り。辺見庸の意図は、この国の民がいつも時流に身を任せ狡く立ち回る姿に寛容になれないし、これを今尚引きずっていくこの国の姿に楔を打ち込みたかったに違いない。

「唐牛伝」大阪前市長橋下徹の件で3年ばかり休筆を余儀なくされた筆者の最新作。60年安保当時、全学連委員長だった唐牛健太郎の足跡を地道に取材して、この時代の匂いを醸し出している。おいらは、70年代の全共闘世代であるのだが、共通して言えることは学生運動が持つ純粋性と組織が持たざるを得ない矛盾。結局は巨大なる権力の壁はあまりにも厚く敗北を余儀なくされるのだが、この本に登場する学生運動の闘志の中にも、その後組織に属さず自らの信念を貫き生きた人達を、いろんな人の証言に基づいて丹念に描き出している。その中でも唐牛健太郎は、居酒屋店主、漁師など様ざまな職業を経験しながら、日本列島を北から南へと漂流したデラシネ人生。おいらも似たような人生なので共感できますな...妾の子として生まれた唐牛の女性に対する接し方が愛おしい。

「キリンの子」の著者は母が小学5年の時に目の前で自殺、 養護施設で虐待、中学の同級生の自殺にも遭遇。壮絶な人生のなかで31文字の短歌に目覚め、類い希なる感性で多くの作品を生み出した。頭でっかちで創られた言葉の遊びがぶっ飛んでしまう真に迫るモノがあります。改めて言葉の持つチカラ、魔力、魅力、精霊を感じます。己の言葉を見いだせば人は蘇生し他者にも生きる事の意義を伝えることを出来るお手本みたいな歌集です。

おいらは今年も、あらゆるジャンルの本を読みながら、己の言葉探しの旅を続けたいと思ってます...自宅では好きなジャズを聴き、ちょいとシェリーで喉の渇きを潤いさせながらの読書タイムは至福の時間でございます。

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新春のスカイツリー

2017/01/04
【第907回】

あけましておめでとうございます。

今年も始まりましたな...でも、最近は正月気分も元旦ぐらいで2日からは社会も動きだし、日常感覚に染まってしまいます。普段と違うところは青い空に空気が綺麗なこと。これは大切なことと言うより、普段の汚染した風景はお金と欲望を追い求めすぎて自然の恵みを忘れてしまった代償ですな。もうええやんか...原発も含め利便性の追求をお休みして、のんびり散歩しながら近場の生き物の気配を楽しむ生活ににチェンジしませんか?といっても、日本も含め世界の政治家、企業家は声高にやれ行け!それ行け!と民衆を煽り、不安にさせとります。そこでだ...今年から己の思考、行動手法を見直し自立の道筋を考えてみませんか?ほんまに、政治も行政も企業も市井の人達のことなんかこれっぽっちも考えておりませんことよ。そこに気づかん限り世界はアウトですわ...とまあ、年頭から背筋シャキッとしながらもボチボチいきますわ。

今年もよろしくお願いします。


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大宮八幡宮 元旦