トムプロジェクト

2019/04/10
【第1207回】

桜散る頃に、またも訃報が...先月、嘗て共にアングラ劇団演劇群「走狗」を共にした田島恒の骨を拾ったばかりだというのに昨日、同じく「走狗」の戦友、島次郎の死を知ることになる。ほんの3日前に次郎ちゃんから送られた「舞台美術1986-2018」の本のお祝いとお礼を兼ねて電話したばかりであった。入院中ではあったが、しっかりとした話しぶりであった。「走狗の写真使わせて頂いて...」なんて恐縮してたので「退院したら出版祝いをやろうよ」と言うと「ケッちゃんいつもありがとう...」それが最後の会話であった。次郎ちゃんは演劇の世界では知らぬ人がいないくらいの大家ではあるが、決して偉ぶることなくどんな人にも優しい男であった。

思えば、今から半世紀近く前に「走狗」で出逢った次郎ちゃん。共に演劇でなんかで飯喰えるわけないんだから多種多様のアルバイトで日々の飲み代を稼いでいた。その頃、次郎ちゃんは古新聞の回収をしていた。回収業者から軽トラックを借りスピーカで回収のお知らせを流しながら古新聞を集めるのである。おいらは見習いとして次郎ちゃんの助手として団地を駆け巡った。次郎ちゃんの人柄であるのか随分と集まり、この日二人で早速居酒屋でご馳走と相成る。これはいいバイトかな?と数日おいらも独立してやったのだが、飽き性のおいら早々と止めちまった。コツコツ、じっくり事を構える次郎ちゃんとはえらい違いである。

アングラ劇団「走狗」の日々はまさに戦いの連続であった。テントを担いで全国の河原、空き地、大学構内、神社と放浪の旅芝居。お金無し、そのため食事もままならず、そして表現を巡っての葛藤、対立。こんな過酷な状況の中でも次郎ちゃんは美術スタッフとして淡々と自分の仕事をこなしていた。役者が足りないときはイヌの役で狂気と愛嬌を振りまいていた。走狗解散後は、才気が見事に開花し舞台美術家として名実共に演劇界でなくてはならない人となる。

次郎ちゃん、まだまだ創りたい舞台あったと思うが、こんなに数多くの作品を提供し関係者に喜んで頂いたんだから悔いは無いはず。ゆっくり、先月逝った田島君と美味しい酒でも飲んでくださいね!

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桜の樹の下には...

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