トムプロジェクト

2019/06/26
【第1233回】

新宿の街も随分とおとなしくなったもんだ...カオスが売り物である街がソフィスティケートされたんじゃ話になりまっせんがな。怖いオッさん、無国籍らしき人物、ハイテンションで練り歩く若者などなど、こんな人達が見かけなくなった街は新宿ではありませんな。この季節、新宿花園神社では劇団唐組、新宿梁山泊、椿組といった集団がテント芝居を興行してます。舞台に登場する人物のほとんどがアウトロー、社会からこぼれ落ちた人間の心情をロマンの世界に飛翔させ、観客を魔界の世界に誘ってくれます...昔なんぞは、舞台に登場していた奇人変人がそのまま新宿の街を闊歩していた気がします。そんな彼らを見ながら、決して世の中のお偉いさんが作ろうとしている既存の社会に染まっちゃいかんぞなもし...なんて思っとりました。破壊と創造を繰り返すことによって、新しいアートを生み出すエネルギーが新宿の街には充満していましたね。今は若者のデモもなく、異国の観光客が、かろうじて残っている新宿のディープな場所を物珍しそうに冷やかしてる街に成り下がったのかな?いや、行政側からすれば安全で安心な街になったと宣伝しとります。これも時代の流れ、しかたんなかですばい...変革の意識が薄れ、事なかれ主義の世の中じゃやっぱりおもろくありませんがな。

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あら、お久しぶり!

2019/06/24
【第1232回】

先週の週末も2本の芝居を観てきました...1本目は劇団文化座の「アニマの海」。石牟礼道子さんの「苦海浄土」を基に水俣に暮らす人達を描いた作品です。トムでも水俣の作品を創ったのですがなかなか難しいものがありますね。患者、チッソ工場、自然豊かな水俣の海、そして時代の変遷、これらが絡み合った水俣をどう描くか?説明だけでは物足りないし、公害に晒された人達の苦しみはそう簡単に表現できないし、演劇がどう向き合っていくのか?その難儀なことから逃げるのではなく、この水俣の世界を語り継ぐためにも演劇が果たすべく役割はあると思います。トムでも10月に水俣に再チャレンジ、ふたくしつよし作・演出で「風を打つ」を上演します。

2本目は温泉ドラゴン「渡りきらぬ橋」。大正から昭和初期に掛けて女性の人権向上に奔走した女流作家、長谷川時雨を柱に据え、その当時の樋口一葉、林芙美子などが登場する。この芝居の見所は、なんといっても登場人物全て男優陣でやりきったことではなかろうか。最初は、どうしても違和感があるのは否めないのだが、観ているうちに過去から現代に渡る性の問題、最近急速に叫ばれてるジェンダーなどなど様々なことが浮き彫りにされてくる不思議な感覚に襲われる...これは、例えば歌舞伎なんかの様式美に拘ることではなく、俳優個々の感性を信じ創りあげた演出、シライケイタのチカラに拠るところが大きいと思う。演劇だからこそ出来るもの、敢えて挑戦、冒険、これ無くなっちゃたら演劇も過去の遺産で終わっちゃいますぜよ。

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絶滅危惧種

2019/06/19
【第1231回】

又しても、セメント大臣が連日口をゆがめながらいい訳と言うより、いつものように臭い物には蓋をしての手法で、年金問題をスルーしようとしている。しかし、何年掛けて年金問題やってるの?与野党含めて、この大切な年金問題を政争の具にしているのが許せませんな。この切実な問題はお互いにベストな案を出し合って協議すればいいだけの話じゃないのかしら...ほんまに日本には政治家が存在しない情けない国でございます。

昨日、夜遅く新潟、山形に地震発生。原発は?地震が起きる度に頭を過ぎります。誰しもが、近未来に必ずや大地震が起き、原発の放射能が日本全土を被う様を想像しているのではなかろうか?年金問題一つさえ解決できない政治屋さんが、この非常事態に思いを馳せるなんてことは難しいことかもしれませんな。地元の選挙区のサービスばっかりで、日本の国全体を俯瞰できない人ばかり。来月の参議院選挙、国民の関心も今一つ、いや諦めに近い心情じゃないだろうか...何年か前、新宿西口の街頭を手渡しで己の政治信念を訴えた元俳優、参議員であった中村敦夫氏が、政治の世界に見切りをつけ、自ら福島原発、チェルノブイリに赴き原発廃止に向けた脚本を書き朗読劇を各地で実施している。もはや、この方法しかないのではなかろうか。要は頼りになるものは己しかない...自ら己に出来る範囲でアクションを起こし己を守るしかない。ほんまにあてになりません事よ、この国のお偉いさん方々。

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梅雨に咲く花

2019/06/17
【第1230回】

ライオンズの秋山選手、昨日、ひとり親家庭の親子の前でホームラン...ライオンズの選手の中で一番好きな選手です。この日は父の日、小学6年時に父(享年40)を胃がんで亡くしている秋山は、14組35人のひとり親家庭の親子を招待。この活動を2015年から定期的に続けている。小さい頃から父とキャッチボールをしながら野球選手を夢見ていたそうだ。まじめな性格と、野球に対する謙虚な姿勢、そして俊足、強肩、好打、しかもホームランも打てる選手となるということなし!ウナギフェイスで愛嬌もあるし好感度は抜群である。まじめな選手であるだけに打撃不振になると、ちょいと考えすぎ、ましてや今年からキャップテンも任され責任感が強いのも、彼を悩ませる一因となる。でも、今日の時点で打率.322を維持しているからさすがというしかありません。こんないいお手本がいるのに、木村、金子の両外野手頑張らんかい!レギュラーで我慢して起用されているにもかかわらず打率.200から.215じゃ話になりまっせんばい。二人ともそんなに若くもないしここで結果を残さないと後がありません。そして、相変わらずのライオンズの投手陣、一試合5~6点取られるのは当たり前なんですから打者はたまりません。何度も言いますが補強しないフロントの怠慢ですな。

残すところ交流戦も6試合。現状から3勝3敗がいいところかな?今年はリーグ優勝は難しいと思います。でも、少しずつ若手も育っているのが救いです...筋書きのないドラマ、そして駆け引き、選手個々の個性、多種多様なものが詰まっているベースボール、やっぱり観ちゃいますな。

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梅雨空

2019/06/14
【第1229回】

昨日は、トム・プロジェクトでお馴染みの風間杜夫、村井國夫さん出演の「黒白珠」をシアターコクーンで観てきました。先ず入場料¥10000、芝居を観るのも大変な時代になってきました。勿論、人件費その他諸々お金がかかる時代であることは重々わかっちゃいるけれど、一日働いた賃金そのまま頂くなんて事、おいらは心苦しゅうございます。7、8千は当たり前。トムの入場料¥5000は一杯一杯でございます。税理士さんからも消費税分ぐらいはあげても当然と再三にわたり警告を受けては居るんですが...当然、今のままでの入場料では役者さんのギャラにも影響し、役者さんにも申し訳ない気になってしまいます。なんてこと考えてると憂鬱になっちゃいますので、ケセラセラ精神でやれるとこまでやりまっせ!みたいなことでやるしかないんじゃありません。

芝居は九州長崎が舞台。ベテランのご両人のやりとりが大変面白しゅうございました。共に長い間、舞台をこよなく愛し己に厳しく芸の道を歩まれた二人。達者な二人の応酬に、ドラマの本筋から離れた人間の持つ面白可笑しいものが垣間見れました。ここが、生の芝居の持つ魅力の一つです。この日この時間の瞬間に流れる命の交流、とっても見応えがありました。

街には色とりどりの紫陽花が咲き乱れています。なかでも何故か白い紫陽花に目が惹かれます。白い紫陽花の花言葉は「寛容」、この時代に一番必要な言葉かも知れませんね。

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寛容

2019/06/12
【第1228回】

6月10日、錦糸町すみだパークスタジオで今年の2月27日に73歳で亡くなったベニサン・ピットの支配人であった瀬戸雅壽さんのお別れ会があった。ベニサン・ピットは戦前染色工場を営んでいた株式会社紅三が、1985年に染色工場のボイラー室を改装し江東区にオープンした下町の劇場である。紅三の経理部長であった瀬戸さんが蜷川幸雄さん演出の「タンゴ・冬の終わりに」を観劇し芝居の世界にのめりこむことになる。採算を度外視して自分が気に入った劇団、集団に場所を提供する男気で生きた人であった。蜷川スタジオ、二兎社、TPT、そして亡くなるまでとことん面倒をみた劇団桟敷童子。桟敷童子の人たち全員が、衣装、大道具、小道具をすべて手作りし、役者として演じる姿に瀬戸さんが思いを注ぎ込むのも良くわかる。ひたむきに生きる演劇人に、これだけ愛情を注いだ人は居ないのではないか。トム・プロジェクトも2本の作品を上演。2009年にはベニサン・ピット最後の公演「かもめ来るころ」でフィナーレを飾らせていただいた。公演中に豪華な鮨を何気なく差し入れしてくれた瀬戸さんの笑顔が今でも印象に残っている。

この日に集まった人たちの言葉の端々に、怖い中にも一本筋が通った優しさと気っぷの良さで演劇人を虜にしたことが良く分かった。一人暮らしであることから、死後の始末もすべて指示し迷惑が掛からないようにしていたそうだ...瀬戸さんの人生はあっぱれ!

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京王あじさい電車

2019/06/10
【第1227回】

先週の土曜日、恒例の新宿花園神社、唐組テント芝居観てきました。唐十郎率いる状況劇場のテント初見参から50年になるんだなと、感慨深く薄暮の紅テントを眺めておりました。

半世紀ものテント芝居に拘っている唐十郎の演劇哲学、大したものでございます。演劇双六から言うと、精算性を考えてみても、あるところで資本の波に乗っかってテントはたたんでしまいます。紅テントが持つ計り知れない意味...テントの薄い布切れ一枚で、虚構と現実の狭間で遊べる仕掛けこそがテント芝居の魅力であり、風雨の音に晒されながらも表現しなければならない役者の強靭さ。まさしく、特権的肉体だからこそ人の心を打つのであります。

猥雑さの中にも、果てしないロマンと冒険心をくすぐる唐十郎の台詞。観るものを困惑させあらぬ世界へ誘惑してくれます...いつもの手口だと思いながら癖になる芝居でございます。

今回の「ジャガーの眼」は1985年に花園神社で上演された作品だ。唐十郎のライバルであった寺山修司へのオマージュから創作された作品だそうだ。芝居の冒頭に寺山修司が愛用したサンダルの登場から芝居は始まる...移植された眼の果てしない旅であると同時に、肉体の一部の眼が、脳の束縛から逃れ奇想天外、予測不可能な展開に導いてくれる。いやはや、こんな芝居創ってくれる人は唐十郎以外に居ないのではないか。おいらも生きてる限り唐十郎の世界を満喫したいと再確認した一夜でもありました。

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魅惑の紅テント

2019/06/07
【第1226回】

一昨日、横浜演劇鑑賞会で9月に公演する「百枚めの写真」の説明会に行ってきました。演劇好きの人たちとお話するのは大好きです。この演劇鑑賞会を長いこと支えてきたNさんとは、阿吽の呼吸で楽しくなっちゃいます。だって観てきた演劇体験が、ともに共通した歴史であり、会話しているうちに、あの時代に引き戻される感覚は郷愁に通じるものがあります。様々なジャンルの演劇が乱立し、政治の季節と相まってほんまに楽しい時代でございました。さらりとしていて、猥雑さがほとんど無くなった昨今の演劇事情とはかなり違います。

ところで、今回の「百枚めの写真」の楽しみ方として、芝居で映し出される99枚の写真に役者の表現がどこまで拮抗できるか?ここは本当に見どころです。だって戦時中に写し出される東京下町の家族の写真は真に迫るものがあります。ある者は不安を抱え、ある者は戦地に居る夫、息子を安心させるために精一杯の笑顔をつくる、そして無邪気な子供の表情。はっきり言って、この99枚の写真には観る者の想像力を喚起するチカラがあり過ぎ。それを背負込みながら、なお一層、戦争の虚しさを届けるのが演劇の底力でございます。2010年の初演以来4回目の公演自体が、この芝居に脈々と流れる生命の尊さを感じさせてくれるんです。

昨日は、本多劇場でKAKUTAの芝居を観てきました。この劇団の作・演出家である桑原裕子さんとは2013年に上演した「熱風」を作・演出して頂きました。女性劇作家のなかでも、独特の感性と社会の切り口で演劇界を盛り立てている一人です。女優としてもなかなかいけますな...書いて、演出して、お客を沸かす演技をして、まさに才女ですな。

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この季節になりました

2019/06/05
【第1225回】

いやはや日々、辛いニュースが流れています...東大卒業してエリート官僚まで勤め上げながら、人生の第4コーナーの終盤を歩み続けている最中に、我が息子を殺さなければならないなんて、こんな辛いことありません。40代のひきこもりが多いとのこと...1982年にパーソナルコンピュータが発売されたころに生まれた世代である。と言うことは、あらゆる情報が心身を蝕み始めた時代の子である。ある意味では被害者であるのかもしれない。お金のためならなんでもありの資本主義社会の行くつく先が、心身の破壊であるのは自明の理であるにもかかわらず人は目先の物量の欲に走り心を失ってしまう。

こんな事件が多発しているにもかかわらず、死ぬんだったら一人で死ね...なんて乱暴な言葉が飛び交い、この社会の闇を解明しようとしない刹那的な輩が居るのも嘆かわしい限りだ。殺された息子がゲームにしか拠り所を見いだせなかったことも、川崎で無差別殺人を犯した男の孤独感も、現代社会が生み出した病であることは間違いない。自然界の他の生き物のシンプルな親子の姿を見るにつけ、ニンゲンのなんともあさましい姿か。虐待、いじめ、ひきこもり、無差別殺人などなど...ニンゲンで生まれてきて良かったのかどうか?もっと他の生き物、自然に対し興味を持ち、思いを寄せないと癌が体中(地球)におよび、間違いなく死にいたる。ピコピコしてる場合じゃありませんことよ...

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政治で変わるのかしら?

2019/06/03
【第1224回】

3度目の「海辺のカフカ」観てきました...いや、改めて、蜷川幸雄さんの演劇的才能を再確認できました。演劇でしかできないことを実現するだけでも、大変な労力とお金がかかるのは自明の理。やりたいけどやれないのも事実...美術、音楽、小道具、衣裳、どれをとっても絵描きになりたかった蜷川さんのセンスが光る。おいらが知ってる昔の蜷川さんはアングラ演劇を裏切り資本に魂を売った演劇人というイメージがあった。がしかし、理想の演劇を実現するために資本家を巻き込み次々と斬新な舞台を創っていった彼はまさしくアーチスト。売れっ子タレントにも徹底的にダメをだし、一人前の舞台役者に仕立て上げる手腕もたいしたものだ。これなら少々、お金出しても納得。だって高いお金出してガッカリなんて芝居が多いのにうんざりしているなかで救われる思いだ。ヒロイン役の寺島しのぶさんは健闘してますな。初演は田中裕子、再演は宮沢りえ、今回の寺島さんが一番あってるかな。歌舞伎の血を受け継ぎながらも、映像の世界でも大胆な表現力で観る者を巻き込んでいく女優魂がキラリと光る。様式美を持ちながらも、自分をさらけだしていく表現者の葛藤がこの芝居の資質にも合ってる気がしました。昔からの友人、木場克己も今年古希を迎える年齢ながら若々しくも的確な演技を魅せてくれました。狂気を演じる新川将人も一段とヒートアップ。そしてトム所属の鳥山昌克はカーネル・サンダースを愛嬌たっぷりに演じておりました。蜷川さん描く万華鏡の世界を心地よく遊べる役者と、窮屈に見える役者、舞台に立つ役者は皆横一線。アップなんてありません。役者の演技一つ一つを観客がフォーカスしていくのでございます。舞台の上は、まさしく役者にとって残酷な場所でもあり、脚光を浴びることが出来る絶好のチャンスでもあるのです。

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さてどうしよう...