トムプロジェクト

2022/06/17
【第1629回】

先週の6月9日「無言のまにまに」に来て頂いた「無言館」館主、窪島誠一郎氏の新刊本「流木記」読了。終演後に、「今度出版した本、立ち読みで最初のページ読めば大丈夫ですよ...」なんて意味深な言葉を残し劇場を後にされました。早速購入し読み始めたところ、ああこのことかと...冒頭、2018年8月10日、ペニスをうしなった...と書かれてありました。ン百万人に一人いるかいないかという部位に発症した「陰茎ガン」により切除したという。これまでにも多くの病を抱え80年近く生きてきた窪島さんにとっての言葉で言い尽くせない喪失だったに違いない。そして若くして亡くなった、どちらかといえばマイナーな画家の絵を集め最初に建てた「信濃デッサン館」の売却の無念。

窪島さんの本はこれまでに何冊か読んだのだが、今回も実母との30数年後の再開の場面は目頭が熱くなる。自分を棄てた実母への許せない心情と、捨てた実母の慟哭、これも戦争という時代が引き起こした不条理。再開後に自死した実母の日記には母親の溢れんばかりの愛を感じて痛ましいくらいだ。

波乱万丈の生きざまを過ごした窪島さんがなぜ戦没画学生の絵を集め「無言館」を建てたのか?窪島さんはこう書かれています。

 

幼い頃から養父母や生父母に抱いていた誤解や偏見を解くこと、その確執を解くことなのではないかと考えているのです。そんなことと戦没画学生と何の関係があるのだといわれそうですが、やはり私は、あの戦争のなかを行きぬいた父や母のことをあまりに知らなすぎたのです。それは養父母に対してもいえることでした。あの戦争下に「新しい命」を産み、育てることがいかに困難で、しかし同時にそれがどんなに誇らしくかけがえのない人間の営みであったかということを、私は最近しみじみと考えるのです。そして、今自分にできる唯一の「戦後処理」といえば、そんな無限の愛情をもって産み育ててもらった命が、生きたくても生きられなかった多くの戦死者の命の上に存在していることを、あらためて想起させてくれるのが戦没画学生たちの絵であることに気づかされたのです。

 

窪島さんは何度も口にしています。「ひょっとすると、彼らの絵を探したのは、ぼくではなくて、ぼくの方が、探し出してもらえたような気がするんです...」

完璧、完全な人間なんてこの世にだれひとりとして居ません。どこかしら欠けた部分を探し求める旅そのものが生きることだと思います。

「無言のまにまに」再演できることを願っています!

1629.jpg

梅雨時の夕焼けはキレイ

<<次の記事 前の記事>>