2026/06/29
【第2199回】
美輪明宏さんが亡くなりました。美輪さんを最初に拝見したのが1960年代後半、おいらは、会社役員を迎えに行くためにハイヤー運転手さんが仮眠していた自動車会社で、ドライバーの起こし屋というバイトをしていました。そのすぐ近くに銀巴里があり、当時話題になっていた丸山明弘(本名)の歌声を耳にしました。歌もさることながら中性的で目鼻立ちがはっきりした容姿に圧倒されました。その後あの名曲「ヨイトマケノの唄」を発表されたときは涙ボロボロ、戦後引き揚げてきて5人の子どもを育てるために道路工事までした母の姿がダブりました。この唄が上京したおいらの応援歌となりました。あの唄を聴く度に母を悲しませることだけはしまいと、ある意味おいらにとっての戒めの唄だったかもしれません。その後、寺山修司天井桟敷旗揚げ公演「青森県のせむし男」で舞台初主演し丸山明弘の立ち姿の美しさに胸高まる思いがしました。男、女という性に縛られることなく己の主張を白日の下に晒す姿は、既成の概念に何のてらいもなく臨む姿を垣間見ることが出来ました。
そして、いまは無き渋谷のミニシアター・ジャンジャンでの舞台では表現者としての意志の強さを魅せつけられました。狭い舞台上で演じる彼の足下にコードが絡まり身動き出来なくなった状態に陥った時の彼の振る舞いはお見事でした。絡まるコードに動揺することなく足でコードを蹴飛ばし何事も無かったように演じていました。
晩年、新宿伊勢丹近くでよく見かけましたね。いつものあの派手なヘアーと衣装でなんら隠す様子もなくごく普通に散歩されていました...何でもあり、他人に迷惑掛けない限り自由気ままに生きることを全肯定した生き方そのものでした。最後まで反戦の思想を貫いていましたが、彼の反戦は政治的な立場での発言ではなく、あの原爆を体験した一人の人間としての言葉だけに重みがありました。そして美輪さんが度々使用する「愛」、研ぎ澄まされた魂からの正真正銘の「愛」だと思います。

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