トムプロジェクト

2025/02/14
【第1998回】

下條アトムさんが亡くなりました...アトムさんと出逢ったのは2001年、おいらの若い時代の芝居仲間である高橋美智子(彼女も今年1月に亡くなりました)が書き上げた戯曲をおいらがプロデュースし、アトムさんに出演依頼したのがきっかけです。演出はテレビの世界で数々の話題作を演出したW氏を指命。彼の意外性、キャラクターに既成の演劇にないモノを期待したはずだったのですが...稽古場での馬鹿でかいダメ出しとオヤジギャグの連発で稽古場の雰囲気は盛り上がったのだが、この世界で良くある若い女優さんに手を出しそうな行為が発覚。おいらは彼に一喝「演出家として退場!」その途端、知名度を武器にワイドショーに出まくりおいらに恫喝されたと吹聴する始末...そんなごたごた騒動のなか演出を買って出てくれたのがアトムさん。この力強い一言でキャスト、スタッフが一丸となり「輝く午後の光に」銀座博品館での公演無事に終えることが出来ました。

これがきっかけで、アトムさんの方から舞台をやりたいと言うことでトムに所属することになりました。その後、「とんでもない女」「ダモイ~収容所から来た遺書~」ひとり芝居「思ヒ出ニ、タダイマ!」「欺瞞と戯言」「裏小路」「沖縄世うちなーゆ」の舞台出演。時折、彼特有の個性、声を活かしての市民からの様々な感謝の手紙を基に構成した「ありがとうの手紙」などなど、トムの創成期に力を貸して頂きました。

アトムさん繊細な人でした。折に触れ演劇論も戦わせました、彼独特の拘りが末永くこの世界で生き残って来たのだと思います。

闘病中にお見舞いに行ったときに朦朧とした記憶の中、「アトムさん、又芝居やりましょう!」と声を掛けると、この時ばかり目を輝かしながら「うん!」と答えていました。24年前にアトムさんに出逢って良かった!そしてありがとう...アトムさんとの数々の想い出はおいらの宝物のひとつですよ。

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おつかれさまでした

2025/02/12
【第1997回】

いやいや演劇三昧、怒濤の日々の連続でございました。トムの「おばぁとラッパのサンマ裁判」が3日から9日まで7ステージ、10日は浅草九劇で昼間に「日の丸とカッポウ着」、夜は吉祥寺シアターで「女性映画監督第一号」、11日は座高円寺で「おどる葉牡丹」を観劇。こんなに毎日芝居観てると好きな芝居も嫌いになりますがな(笑)勿論、演じる方はもっと大変でしょうが観るエネルギーも相当な覚悟がいります。後期高齢者となれば劇場の椅子の質によって腰の負担もかなり厳しくなってきます。小劇場系統の席は大劇場のゆったり高価な椅子と違って、パイプ椅子同等のものが当たり前で時折身体の位置を変えねば固まってしまい劇場を後にする姿は見るも無惨な歩きとなってしまうという方もございますことよ。

今回、全体的に感じることは若い役者さん皆器用に演じてることにビックリしました。確かに上手い、隙がない、達者である...でも、いまひとつこちらにその演技が響いて来ない。今の若者の生活環境からきていることは紛れもない事実だ。あらゆるジャンルの音と映像に囲まれ、様々な情報を手っ取り早く仕入れ、なにひとつ手に入らないものがないという便利さが器用さに繋がっているのでは...不便極まりない時代のなかでの俳優修業を強いられた者は、その足りない分野を埋め合わせるために想像力を感興しながら駆使したに違いない。

昔から不器用な役者ほど、何とも言いようのない存在感を示していたような気がする。そんなに早く上手さ器用さを求めるな!己の固有の心身に無駄なモノこそ引き受け、十分に咀嚼、熟したものを表現して欲しい。

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浅草路地裏からのスカイツリー

2025/02/10
【第1996回】

昨日、「おばぁとラッパのサンマ裁判」新宿紀伊國屋ホールで無事に東京公演千秋楽を迎えることが出来ました。プロデューサーとしては日々戦々恐々、メールや電話がかかってくる度にドキリ。キャスト、スタッフのなかからのインフルエンザ、コロナ感染、事故の知らせではないかと心配の毎日でした。この報が流れた時点で芝居は中止せねばなりません。ライブはこれが一番怖いのでございます。幸いにして今回のメンバーの細心の注意と集中力で何とか乗り越えることが出来ました。昨日は3度のカーテンコールがあり、客席も大いに盛り上がりまさしく千秋楽に相応しい舞台だったと思います。

この芝居、沖縄が舞台の芝居だけに多くの沖縄の方々が観客として来て頂きました。皆さん口をそろえて沖縄公演を実現して欲しいとおっしゃっていました。地元沖縄の人達にそう言って頂けると言うことは、我々の沖縄に対する幾重の思いが伝わったんだと...と言っても、未だに地位協定の問題ひとつにしても石破、トランプの初対談でも話題にもならず、悔しい思いをするばかり...でも、今回のサンマ裁判同様、負けても負けても何度でも諦めることなく主張するしかありませんね...芝居も然り。

この芝居、これから千葉県野田市、長野県上田市、茨木県つくば市、福井県越前市、和歌山県有田市、大阪府富田林市で上演されます。ご近所の方々、是非劇場に足を運んでより沖縄を感じて頂ければと思っています。

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今日のメタセコイヤ

2025/02/07
【第1995回】

昨日で4ステージ無事に終えることが出来ました。概ね好評でホッとしていますが、芝居の捉え方は人それぞれ、ラストの締めくくり方が今の沖縄の現状を鑑み楽観的では無いかとの意見も当然あることでしょう...確かに歴史を振り返ってみれば、明治維新の際に琉球処分で統合された沖縄県で当時の言論人である伊波月城が教育を始めとする沖縄人蔑視を巡り政府を批判。本土での大正デモクラシーと共鳴し列強に脅かされていた中国、インドと連帯しアジアでの民族覚醒を呼び掛けた過去がある。

ただ見ての通り、沖縄はいままさにアジアでのチカラによる分断の最前線にある。敗戦後未だなお在日米軍基地が日本全体の70%を占め、なおかつ自衛隊の配備が着々と進められている。この中からどうアジアの可能性を見出すかが大きな課題でもある。アメリカ、中国、ロシアが大量の核を保有し身動きが取れない中、小国や限られた地域の当事者が今の状況を変えていくことが出来ないか...沖縄の人達は、戦争が起こればどんな悲惨な状況になるかは身に染みてわかっています。だとすれば、いかなる攻撃も許さないよう沖縄から非武装地帯を拡げていくなんて構想もありだと思います。

こうやって沖縄の芝居を上演していると、沖縄の知らざる歴史を探索したくなります。なんでも諦めてしまえば終わりです。だってほとんどの日本人が沖縄の今の姿に、許せない!と思いつつもそれ以上声をあげようとしません。沖縄の問題は対岸の火事ではございません。

見て見ぬふりしてると、そのうち大やけどしちゃいますよ。

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童子を待つ公園

2025/02/05
【第1994回】

「おばぁとラッパのサンマ裁判」2ステージ終えることが出来ました。ほぼ満員客のなか役者陣の個性溢れる演技も相まって好評の舞台になっています。今回の芝居、役者さんのプレシャーは半端じゃなかったと思います。テーマが沖縄、これまでの沖縄の人達の苦渋を強いられた背景を考えると、そう易々と演じることが出来ない。先ずは沖縄の現地の人達が日常に会話する言葉のニュアンスを察するところから入り、人物像に迫っていく過程は並々ならぬ関門。役者個々人の苦労話を聞く度に頭が下がる思いでした。

終演後のお客様の反応は上々。沖縄が日本に復帰するにあたり、サンマに関してこんな闘いがあったなんてビックリ。ある意味では沖縄の数々の歴史の中での隠された裏歴史。芝居を創る側としては、この歴史の闇に葬り去られた事実を掘り起こし演劇として成立させることが醍醐味のひとつかも知れません。

芝居の面白いところは、日々同じことを演じることがないという新鮮さ。まさしく芝居は生きモノ、瞬時に空気が変わり前の日に演じた光景が変質し新たなシーンとして誕生する。そのおもしろさを連日味わえるのもプロデューサーの特権です。だから止められないのかな...

昨日の役者さんのアフタートークもお客様十分に楽しんでいただけたみたいです。舞台と客席の一体感とてもしびれます。とにかく劇場に足を運んでくださいな!今までに見たことのない風景があなたの日常に変化をもたらせてくれるに違いありませんことよ...

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絶賛上演中

2025/02/03
【第1993回】

如月の季節がやってきました。おいらがこの世に生を受けた月です。1945年8月9日終戦前にソ連軍が満洲、朝鮮に日本との不可侵条約を無視して侵攻して来ました。おふくろのおなかに潜んでいたおいらは引き揚げ時の悪夢のような日々を感じ取ったに違いありません。そして奇跡的に1946年2月に博多港に引き揚げ誕生しました。生前、母は口癖のように言ってました。「戦争は勝っても、負けても悲劇...戦争程愚かなものはない!」なのに、今尚世界各地で争いが絶えません。いや、これは人類が絶えない限り間違いなく継続されるに違いない。

戦後80年、おいらと共に年を重ねていったこの年月感慨深いものがあります。トム・プロジェクトを創設して30年、何度となく戦争に纏わる芝居を創ってきました。何度も何度もしつこいくらい平和の尊さの声を上げても一向に戦争が止むことはありませんでした。でも、今生きてる者があらゆる手段を行使してでもアクションを起こさねばより劣悪な世界が予想されること間違いなし。

今年も戦争と平和をテーマにした芝居を4本上演します。その1本目「おばあとラッパのサンマ裁判」今日、初日を迎えます。劇場に足を運んでいただき、共に平和の大切さを感じていただければと思っています。

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如月の空

2025/01/31
【第1992回】

来週2月3日より公演の「おばぁとラッパのサンマ裁判」の稽古場に行って参りました。衣装つけての熱気溢れる1時間40分。とにかく沖縄の熱い風が流れとても心地よい舞台になりそうな予感がしました。おいらもこれまで随分と沖縄に関する芝居を観てきましたが、どうしても戦中戦後を通じて当然のことながら沖縄の虐げられた現状に対する怒り、悲しみに焦点が当てられ重苦しい舞台が圧倒的に多かったような気がしました。

今回の芝居は、庶民のささやかな食であるサンマをきっかけに話が展開するのだが、何故か明るい。沖縄の人達が最も大切にしている陽なる気質が全面に押し出され、観てる側もなんだか応援団の一員になってしまう展開。それは、今回のキャストの醸し出す表現力の確かさがそうさせてるに違いない。勿論、戯曲、演出の手腕があってのことだが。

いつもながら、芝居の稽古は一筋縄ではいかない。稽古を重ねるごとに台詞の変更もあり、積み重ねたものを壊しては再度創る日々の連続である。まして今回の舞台は沖縄、方言をマスターしていくのもなかなか至難の業である。あの独特の沖縄の言葉のニュアンス次第で芝居も大きく変わっていく。そうした稽古の集大成として初日を迎える。そして観客に対峙してまた新たな発見を見いだし更なる進化を遂げていく...だから芝居は面白いのだ!

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冬の公園

2025/01/29
【第1991回】

一昨日のフジテレビの実況中継は何なのですかね...10時間も超えるダラダラ質問と回答。この国の混迷ぶりを象徴するような事態でございました。質問するジャーナリスの頭の悪さ、理性を失った輩の汚いヤジ、勿論フジテレビ側のガバナンスの悪さから発した事案なんですが、70歳超のオジサンたちの疲労困憊ぶりを観てると居た堪れない気持ちになってきます。

この時代、やはり早めの世代交代をしないと時代の流れに追いつけなくなってしまいますよ。そして、よりによってフジテレビ全盛時代を創り上げた87歳のドンが黒幕に控えてるんですからにっちもさっちも行かない状態です。ひな壇に居並ぶ5人の役員もとても逆らえませんなんて顔してましたね。

それにしても、今のテレビ局のあり方に問題があると思います。とにかく視聴率ありきの番組編成、この国のバラエティー番組の多さに呆れてしまいます。芸能人のどうでもいい話を何時間もダラダラと流し続ける神経がおいらにはさっぱりわかりません。そんなに視聴者をおバカさんにしたいのかな?とさえ疑ってしまいます。公共の武器を使ってるんだから少しはましな国にする良質な番組を企画制作してみたらと言いたいですね。

芸能人も普通の人間です。テレビ局が忖度し、勘違いし天狗にしちまったのかもしれません。視聴率ありきの選択ではなく、芸能人の人間性を見極めながらのキャスティングで企画制作すればおのずから視聴率はあがりますよ。

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神様、仏様、稲尾様の焼酎みーっけ!

2025/01/27
【第1990回】

先週の週末、下北沢ザ・スズナリで劇団ONEOR8「誕生の日」を観劇。この劇団は舞台芸術学院47期卒業生により旗揚げ、立ち上げから27年が経過しました。おいらも初期のころから観ているのだが、同期である劇団モダンスイマーズの演出家蓬莱竜太さんがやや先行していたのだが、この劇団の主宰者である田村孝裕さんはじっくりと市井の生業、人生観をじっくりと観察し、ここのところエンタメ性も交えながらの秀作を発表しています。他人の隙間に巧みに入り込み人間の業を含めて面白可笑しく描いているのが観客に受けている気がします。

トムでも2023年に「沼の中の淑女たち」を上演。田村ワールドがたっぷりと盛り込められ早々とチケットが売り切れとなりました。彼の演出はきめ細かく、粘っこく、適格なので女優さんにはとても人気があります。もとがシャイな人ですから、怒鳴ったり殴ったり(このご時世こんなことしたら一発でアウトです)なんて論外、理詰めで丁寧にダメだし(この言葉も今では厳禁、ノートと言わなければなりません。なんてこった?ダメ出しでよろしゅうございますと思いますが)する姿に惚れ惚れとするんでしょうね。

それにしてもザ・スズナリという劇場。雰囲気がありますね...トムでも昔よく使わせていただいたのですが昭和の香りがするなかでのアバンギャルドがとっても似合う小屋です。この劇場には間違いなく演劇の神様がおりますな。

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何をしたいのかな?

2025/01/24
【第1989回】

今年も1月から海外含めて波乱の幕開けとなりました。先ずはトランプ、何を仕掛けてくるか先が読めない指導者の誕生で世界は一喜一憂せざるを得ない状況が続いています。就任演説で「性別は男性と女性の2つだけ」と発言。多様性が社会問題になっている流れに水を差すこの言葉にトランプの超保守、更に言えば独裁者に匹敵するくらいの脅威を感じます。

確かに今回の結果は、エリート集団が牽引した民主党政権に対して地道に働く労働者がNOを突きつけたことから始まっています。移民国家である大国アメリカがどのような選択するかによって世界の状況は一変するという危うさを抱えながらの戦々恐々の日々がここしばらく続きそうですね。

一方、日本では連日フジTVの報道で一色ですね。それにしても画面で喋るお偉いさんたちいずれも悪代官みたいな面相してますな。TVはもともと庶民に楽しんでもらう側面と、権力に対してしっかりと監視し提案、提言するジャーナリストとしての役割があると思います。いつの頃からか権力と芸能事務所に忖度し保身に走る流れになってしまいました。今回の引退した人気者も、ジャニーズの亡き親分に人間としてまっとうに生きる術を教えてもらえなかったんじゃないかと思います。ここまで来る前に、自分の言葉で会見することなく「さよなら」はないでしょう。

この時代、すべての悪、嘘が洗いざらい白日の下に晒される流れになっています。生き残るテクニックなんてございません。誠実に実直に生きるしかありません...そうしないと人類は自ずから滅びてしまうこと間違い無しでございます。

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春を待つ枯木2

2025/01/22
【第1988回】

またしても訃報が入ってきました。新木安利さん。大分県中津で松下竜一、梶原得三郎さんと共に平和、環境問題に対して地道な運動を展開した仲間の一人でもあった。おいらが最初の会ったのは2006年、松下竜一さんの芝居をどうしてもやりたいということで中津に向かった。松下さんの御子息、梶原さん、そして新木さん、今この時代松下竜一さんの生き方、思想をより多くの人達に芝居を通して伝えたい旨、熱く語った記憶がある。そして2008年念願かなって「かもめ来るころ 〜松下竜一と洋子〜」を今は無き小劇場ベニサンピットの最終公演として上演した。ふたくちつよし作・演出、高橋長英、斉藤とも子さんに夫婦役を演じてもらった。もちろんご当地中津でも公演、満杯のホールであらためて松下竜一さん夫婦の生き方の素晴らしさを再確認した次第である。

その後、梶原さん共々松下竜一さんの未刊行の全集を出版したり、自ら多くの著作を出版。

いつも笑顔を絶やさず謙虚に発言される新木さんの佇まいが印象的であった。

2016年「砦」を公演した時には東京まで足を延ばし、公演の熱い感想文頂きました。

奥様からのお手紙でも「悔いのない人生だった...」と記されていました。己の信じる道、それも弱者の視点に立って行動する姿は見事だと思います。忖度なんてクソくらえ!なかなかできないことを貫いた新木さん、お疲れさまでした。新木さんの志は残されたものが引き継いでいきますのでゆっくり休んでくださいね。

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春を待つ枯木

2025/01/20
【第1987回】

日本にシェリー酒文化を根付かせた銀座「しぇりークラブ」のオーナである高橋美智子さんが亡くなりました。1986年にオープンし2005年には世界で最も数の多い227種類のシェリー酒がある店としてギネス記録に認められる店になりました。おいらは、54年ほど前に彼女と出会いアングラ劇団「走狗」で7年ばかりテント担いで全国を巡演していました。小柄ながら愛くるしい表情で、その当時のアングラ界でも人気のある女優さんでした。もともとお嬢さんですが、その当時は政治の季節ですから、時の権力に芝居を武器に敢然と戦いを挑むなんて激しい気質もありました。劇団解散後は、勘当されたお父様から泰明小学校のすぐ近くの店を任され、画廊とシェリーとスペイン料理を始めました。

シェリーと言えば日本では食前酒が定番だったのですが、スペインではワインと同等の立場にあることを主張し、世界で唯一の生産地であるへレスの蔵元と交渉しシェリー酒の有名店にしました。おいらも何度も足を運び、シェリーの何たるかを勉強させていただきました。でもおいらだってスペインに3年ばかり住んでいたのでシェリーは大好きなお酒だったんですよ。なかでも大変辛口でデリケートで軽やかな風味の「フィノキンタ」はいつもベッドの横に鎮座し、快適なスペイン生活に欠かせないものの逸品でした。アンダルシアの海辺の潮風を送り込んでくれる爽快感がありました。お供は生ハム...なんて想い出したら今からでも行きたくなっちゃうな!

「走狗」の仲間、島次郎、伊深宣、田島恒、そしてミーコ。おいらもそのうちそちらに行くと思うけど、もう少し楽しんでからにしますね。

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今日の神田川

2025/01/17
【第1986回】

今日は阪神・淡路大震災から30年、各地で追悼式典が行われていました。当時代々木に住んでいたおいらは、この日早朝の出来事は良く覚えています。戦争を知らない世代にとってはかなり衝撃的なことでした。その後、東日本大震災、そして昨年元旦の能登半島地震、いつどこかでこの規模の地震が起きてもおかしくない時代になりました。地震だけではありません、気候変動による度重なる災害。本当に地球が危ない!なのに止まぬ戦争、正直言って未来への明るい展望が見いだせない世界の現状。

今日も式典で、知事の発言、役人が書いたであろう文章を読んでいましたが、この知事に限らず政治家も含めて真剣に災害対策に取り組んでいるとは思えません。その一番良い例が原発再稼働の動きです。震災で未だ住めなくなった福島の町や村の現実を忘却の彼方に消し去ろうとする姿勢に怒りさえ覚えます。この国の30年、大企業優先の利益優先の政策を実施したにもかかわらず国力は衰退し、そのしわ寄せを庶民が負う、なんとも納得できないことばかりです。

こんな時は、松下竜一さんの「暗闇の思想」を読んでみると良い。「自分よりも弱いものを犠牲にしてまで恩恵を受けることに、何の価値があるだろうか。」この言葉に松下さんの一貫した思想が込められている。トムでも松下さんの原作を基にして2本芝居を創らせて頂いた。「環境権」いう言葉を旗印に反戦、反核、反原発へと草の根レベルでの活動を続けながら、地元中津を拠点に多くの記録文学を残しました。時折、おいらの本棚に並ぶ松下竜一さんの著作を手にしながらまだまだ諦めるわけにはいかないと励まされる日々であります。

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冬景色2

2025/01/15
【第1985回】

今年の大学ラグビー優勝を賭けた早稲田対帝京の一戦、13日に行われましたが帝京の底力を見せつけられた試合でした。早稲田、明治、慶應という伝統校に対して地道に強力なチームに仕立て上げた前監督岩出雅之氏の発想力が脈々と受け継がれていると思いました。俗にいう体育会系の嫌な部分を排除し、最上級の4年生に部内の雑用を任せ、下級生に余計なプレッシャーを感じさせないような環境にしたことが画期的だと思います。伝統校のマネをしても伝統校を追い越せないという発想転換の勝利だと思います。この日の試合も、練習試合、定期戦に敗れた早稲田に対し徹底した分析に基づいた戦略で終始ゲームを支配していました。何事もそうですが、地道に己を信じ、たとえ泥臭くてもまじめに鍛錬すれば自ずから道は開かれるという良い見本です。そして、大学ラグビーを盛り上げるためにも、この帝京の強さを打ち崩すチームが出てくることを期待しますね。

同じ日に、国立競技場では高校サッカー日本一を賭けた戦いが繰り広げられていました。

群馬の前橋育英高校がペナルティーキック戦の末に千葉の流通経済大柏高校に勝って7大会ぶり2回目の優勝を成し遂げました。おいらはサッカーよりもラグビー派なんですが、この日の試合はなかなか見応えがありました。1対1の延長戦を戦ってお互い譲らずPK戦になったのですが、なんと10人を擁する戦いになってしまいました。このPK戦何度見てもハラハラドキドキしてしまいます。蹴った方も受ける方も、その結果が残酷な気がします。

失敗した選手が一生トラウマになるんじゃないかと心配さえしてしまいます。

筋書きのないドラマ、これがスポーツの魅力です。これに勝るとも劣らない芝居創らんといけませんね!

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冬景色

2025/01/10
【第1984回】

今年こそ最下位脱出、優勝までいかなくてもいい試合を期待していたのに...ライオンズのキャップテンだった源田選手のスキャンダル。まあ完璧な人間なんているわけがないということを理解していても雲隠れはいけませんな。球界を代表する名遊撃手、仲の良い夫婦を演じていただけにその落差にほとんどの人がガッカリしたに違いありません。一刻も早く記者会見を開き、お詫びと今後のことを自らの言葉で話さないと人前でプレーできないと思いますがね。

それにしてもライオンズの選手は甘ちゃんが多いですね。一流の選手、銭を稼ぐのは練習しかありません。グラウンドにしか銭は埋まっていないことをしかと思い知らないといつまでもどんぐりの背比べで終わっちゃいます。昨年も山川騒動でうんざりさせられただけに、又してもという感じです。いまのうちに規律あるチームにしないと、ライオンズファンは、そして誰もいなくなった!なんて状態になっちゃいます。

一方、元ジャニーズのお方、この方も人前に顔を出しちゃんと話さないと消えてしまいますね。今までは芸能界を牛耳っていた巨大組織に守られていたんですが、すべてにおいて倫理観を求められる昨今、簡単には逃げられないことを自覚しないとあきませんな...

お天道様はどんな些細なこともちゃんと見ていますから、まっとうな生き方をしないとバッサリと切り捨てられます。背筋伸ばして正直に生きましょうね!かといって石部金吉みたいになっても困るし...視野を拡げてくれる遊び心だけは忘れちゃいけませんことよ。

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燃える初春の新宿

2025/01/08
【第1983回】

昨日は春の七草、芹、なづな、御行、はこべら、仏座、すずな、すずしろ、この響きを聞いただけでなんとも日本の原風景が目に浮かびます。この7種の野草・野菜が入った粥(七草粥)を人日の節句(旧暦1月7日)の朝に食べる風習が残っていたのですが、いまどれだけの人が食べていることやら...昨今の慌ただしいこのご時世、こんな風情に浸る時間なんてございません!なんて言われそうですね。

最近、若手作家の本二冊熟読。豊永浩平「月ぬ走いや馬ぬ走い」タイトルだけでも斬新、なんやろ?なんて思いながらページを開いていきました。沖縄琉球大学の現役学生作家で、地元沖縄の戦争を絡ませなんとも不思議な展開。戦争を知らない世代が織りなす世界は彼の想像力と、彼が尊敬するゴダール、大江健三郎の作品を参考にして疾走する新たな文学。

片や町屋良平の「生活演技」、演技する身体を描きながら社会の中で生かされる人間存在の本質に迫っている文体。その独自の文体で語られる不穏な物語だけに読者を選んでいる小説かもしれない。

この二作を読み終わって思い出したのが、井上ひさし氏の言葉「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに書くこと」

こんな小説が、実は書き手に取って一番難しいことではないかと思います。新しい作家が既成の文学にチャレンジする姿は大いに結構なのだが、読後にどれほどの言葉が身体に落とし込まれるのか...そしてその言葉は、その後の人生を決めかねないほど大切なものだと思っています。

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燃えるような夕焼け

2025/01/06
【第1982回】

あけましておめでとうございます。

今年も始まりましたね...昨年の元旦は能登半島地震で始まっただけに、正直何とか無事に年が開けてくれと祈っていました。といっても日本のみならず、世界は相変わらず混沌としていて心休まる日々とは言えません。今朝も北朝鮮がミサイル発射なんてニュースが飛び込んできました。いつ間違って日本本土に落ちてくるとも限りません。正月の風物詩に新たに外人観光客のコメントが多くなったのも、いずれこの国も異国の企業が土地を買収し従来の日本ではない風景を見ざるを得ない将来が待ち受けているのかもしれませんね。

今年の初興行。「おばぁとラッパのサンマ裁判」の稽古が始まりました。舞台は沖縄、沖縄と言えば戦後80年、基地問題、米軍の犯罪などなど、いまだ不利益を被っている沖縄の人達を見て見ぬ振りしてきた責任は重いと思います。芝居に携わっている者としても見過ごすことが出来ません。今回の芝居は声高に叫ぶのではなく、市井の魚屋のおばちゃんが「これおかしいんじゃない?」とシンプルに声をあげたことが最終的に沖縄返還に繋がっていった話です。民主主義はありふれた生活のすぐそばにあるんだよ!ということをいみじくも教わった気がします。

出演者も個性あふれた人達で、今までとは違った結縄の芝居が誕生する予感がします。

2月3日が初日です。新宿の紀伊國屋ホールに是非いらしてくだいませ!

今年も何卒よろしくお願いいたします。

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平穏な年でありますように