トムプロジェクト

2025/02/28
【第2004回】

昨今、情報による功罪があちこちで話題になっている。昨日鑑賞した「ブルータリス」、もうすぐ発表される第97回アカデミー賞で10部門にわたりノミネートということで、上演時間3時間30分にかかわらず出かけました。いや、長かった、疲れた。

第二次大戦のホロコーストから生還したハンガリー系ユダヤ人ラ―スロー・トートーの伝記映画である。冒頭から不可解なシーンが現れる。アメリカの象徴である自由の女神が逆様に写されている、なぜ像は転倒しているのか?そのアメリカの実業家をパトロンとして、フィラデルフィアを見下ろす丘に一大共通コミュニティホールを建築する仕事を任される。その後、欧州から出獄できない妻とも再会できるのだが、彼女から送られた手紙「自由でないのに自由だと思っている者こそ、一番の奴隷である」この言葉のすべてがこの作品の意図ではないだろうか。

それにしても、ラ―スローがこの建築に託したものはエピローグで明らかになるのだが、いまいち明確ではない。彼は自由のために粉骨砕身闘った英雄か?それとも自由という名のもとに踊らされたピエロか?それともどちらでもない全く異なる別の存在か?いやはや、3時間半も付き合わされて主人公の分裂と矛盾を行ったり来たり、途中休憩15分があったから良かったもののぶっ通しの上映だったら足腰立てませんがな。

でも主人公を演じたエイドリアン・ブロティはさすがですね。2002年公開の「戦場のピアニスト」で史上最年少アカデミー主演男優賞受賞だけのことはあります。今回の長時間上映に何とか耐えられたのは、彼の内面から溢れ出る様々な感情の機微の見事さ。こんな役者を観れる楽しみが異国の映画には確かにありますね...。

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きさらぎ末日の紅梅

2025/02/26
【第2003回】

いやはや最初に観て、すっかり主演女優のジュリー・クリスティのファンになっちまったあの名作「ドクトル・ジバゴ」60年振りに再会。映画が娯楽の王者であった時代に相応しい全編3時間半の大作である。監督は「アラビアのロレンス」「戦場に架ける橋」でメガホンをとったデヴィッド・リーン。原作は1958年にノーベル文学賞を受賞したロシアのポリス・パステルナーク。この作品は第一次世界大戦とロシア革命という動乱の時代を背景に二人の女性を愛する医師ジバゴを軸に展開していく。広大なロシアが舞台であるだけに人員、美術、セット、そしてロシアの自然。当時は勿論VFXやCGなんかは皆無、人海戦術でシーンを創りあげた感動がスクリーンからビシバシ伝わってくる。18歳のおいらが映画に夢中になり、こりゃ東京に行かんと話にならんですばい!と背中を押してくれた作品のひとつでもある。それにしてもジュリー・クリスティ、罪深い女です。ジェラルディン・チャップリン(あのチャップリンの娘さんである)演じる奥様がいながらも、確かについつい惹かれていく魅力、こんな女性に出逢ったら最後、間違いなく人生狂わせること間違い無し。

若き日のアレック・ギネス、そして怪優ロッド・スタイガーの存在もさすがである。彼の「質屋」「夕陽のギャングたち」の演技は今尚おいらの記憶に深く刻まれている。

映画と言えばもう一つの主役であるメインテーマ。この作品を担当した名匠モーリス・ジャールによる「ララのテーマ」が良いタイミングで流れてくるので涙がチョチョ切れますばい。

勿論、主演男優オマー・シャリフのいつも潤んだ瞳で苦悩する姿がこの作品を支えている。

やっぱり映画は人生の師でございます。

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新宿西口の夕暮れ

2025/02/25
【第2002回】

先週の週末は、中野スタジオあくとれにて劇団ぼっかめろん第34回公演「星の王子さまHollywoodに行く」を観劇。主宰者倉澤周平、出演者の一人小林達雄はおいらが若い頃テント芝居やっていた演劇群走狗の戦友だ。それにしても二人とも老体鞭打ってよくぞやってるなと感心した次第です。達ちゃんの芝居の案内状のなかにこんな言葉が記されていました。

「ここまで演ってきたことは確かなのですが、その来し方になんの手応えもないし、なんの実感もないのです。いたずらに時間が流れ過ぎてきただけで、実はなにもしてこなかったのではないかという気さえするのです。幕が下りると同時にすべてが消え、後には何も残らない芝居の性質のせいでしょうか。ここ数年、<消え時>を失って、これが最後をくりかえしオオカミ老人と化しています」

いかにも達ちゃんらしいなと思います。でも80過ぎてもなお舞台に立ち続けきりりとした味のある芝居をしてるんですから立派です。筋が通った一人の男の生きざまを見せられる思いです。人生何が幸せか、大切か、こんなこと人と比べるものではありません。舞台で己の身の処し方を晒す行為なんて誰しもができることではありません。命果てるまで舞台に立てるなんて、ある意味うらやましいことですよ。

昨日までの寒さもおさまり、今日は春を予感させる天気です。あちこちに咲き始めた梅の花と鳥もなんだかウキウキしています。

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メジロとウメ

2025/02/21
【第2001回】

久しぶりに読後感がよい本に出逢った。第172回直木賞受賞作、伊与原新著「藍を継ぐ海」。地球惑星科学を専門とする研究者から作家に転身した異色の作家である。一話独立五つの短編シリーズなのだが、地方を舞台に科学とは縁がないと思っていた人が、科学を嗜好する人と出会い対話することで、それまでとは全く違う視点から人生を見つめ直し新たな一歩を踏み出していく展開。現代人が科学知識や科学的思考を駆使しながら、地方の歴史や伝統を未来に繋げようとする試みも読み物として秀逸である。

科学知識と地方に住むごくごく普通の人たちとで紡がれる人間ドラマのなかに、今現在、町、村、限界集落などなど、この国の未来像のヒントが隠されている。

この五編、皆読みどころがあるのだが、おいらは最後の「藍を継ぐ海」に感銘を受けた。徳島県の南東部に位置する架空の阿須町にやって来るウミガメを巡る話。年毎減少しながらも浜に帰って来るウミガメに対し

「どの浜に帰るかは、カメさんたちが決めること。気に入った浜には帰るし、気にいらん浜には帰らん。保護したいとか、増やしたいとかいうても、人間はまだそこまでウミガメのことを知らんと思うよ。人間の考えるとおりには、なかなかならん」

「もし浜が見捨てられても、何百年後かには浜も自然ときれいになっとるやろ。そしたらカメさんのほうで、勝手にこの浜を見つけてくれる」

どんなに科学が進歩したとしても、この世に無垢なる魂を持った人がどれほどいるかによってこの地球の寿命が決まる予感を感じさせてくれる小説である。

2001回目の夢吐き通信です。よっしゃ!3000回を目指しまっせ。

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春を待つヒヨドリ

2025/02/19
【第2000回】

なんと今日で「夢吐き通信」2000回となりました。振り返ってみれば2002年に書き始めたのですね。トム・プロジェクトのホームページを覗きに来て頂いている方々に少しでもトムの動きを知って貰いたいと言う気持で筆をとりました...タイトルは社名吐夢にちなんで付けました。おいらのキョロキョロ人生を言葉にしたブログですね。人として生きていること自体が奇跡みたいなモノですから、その日目にし、感じたことを素直に表現したい。日々新鮮、日々発見と言う言葉が好きです。

「街は劇場X激情」というタイトルで新聞に連載したときも、人との出逢いを中心に、おいらの感性にフィットした事柄を好き勝手に綴りました。思いは言葉にしないとわからないこともそうですが、一瞬一瞬の過ぎ去った時空間をコンパクトに掬い取ってみたい。

途中から写真も掲載しました。視覚に訴えるチカラも捨てがたいものがあります。目に留まった風景を己のセンスで切り取るのも楽しい作業でした。そして読んで頂いた方がそれぞれの想像力を駆使して感じて欲しい。

継続は力なり!飽きっぽいおいらがここまで書き続けたことに正直言って驚いています。これから先、どこまで継続できるかどうかは分かりませんが、頑張らずに今まで同様気楽に書いてみようと思っていますのでよろしくお願いします。

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春を待つクロッカス

2025/02/18
【第1999回】

先週の週末は吉祥寺シアターに出かけました。今から20年前にオープンした時、こけら落とし公演に呼ばれ、鄭義信作・演出「カラフト伯父さん」、ふたくちつよし作・演出「ダモイ~収容所から来た遺書~」の二本、連続公演をしました。武蔵野市はもともと文化に理解がある地域で東京都の中でも一番住みたい街として人気があります。演劇を通してより盛り上げていこうという姿勢においらも賛同した次第です。

今回、上演された芝居も若い俳優を中心とした枠組みにコンテンポラリーダンスを取り入れ、活気溢れる吉祥寺の街をよりイメージアップしていこうという試みだったと思います。

18人の男女が身体を駆使し、あらん限り声を絞り出し演じていました。おいらも30年プロデューサーやっていますが、一生懸命、汗水垂らしてなんてことは当たり前のことです。表現の世界ほど、まして役者なんて良し悪しにどんな基準があるのかかなり曖昧だと思います。音楽、舞踊の世界はあるていどの判断がつくのですが、こと役者に関してもヘタウマなんて言葉があるようになかなか難しいモノがあると思います。

そんな玉石混交のなか、この世界で役者として生きていける人達を見いだすのもおいらの仕事です。今回、トム所属の佐々木優樹君も出演者の一人でした。ひいき目ではなく彼が一番の才気を感じました。小柄で童顔でありながらなにかやってくれそうな役者ぶりでした。

いつもながら貴重な時間を使っての観劇、ひとつでも発見があれば十分です。考えてみればこの世の中完璧なモノなんかありません。何事も発展途上だからこそ面白いかもしれませんね...

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寒波襲来

2025/02/14
【第1998回】

下條アトムさんが亡くなりました...アトムさんと出逢ったのは2001年、おいらの若い時代の芝居仲間である高橋美智子(彼女も今年1月に亡くなりました)が書き上げた戯曲をおいらがプロデュースし、アトムさんに出演依頼したのがきっかけです。演出はテレビの世界で数々の話題作を演出したW氏を指命。彼の意外性、キャラクターに既成の演劇にないモノを期待したはずだったのですが...稽古場での馬鹿でかいダメ出しとオヤジギャグの連発で稽古場の雰囲気は盛り上がったのだが、この世界で良くある若い女優さんに手を出しそうな行為が発覚。おいらは彼に一喝「演出家として退場!」その途端、知名度を武器にワイドショーに出まくりおいらに恫喝されたと吹聴する始末...そんなごたごた騒動のなか演出を買って出てくれたのがアトムさん。この力強い一言でキャスト、スタッフが一丸となり「輝く午後の光に」銀座博品館での公演無事に終えることが出来ました。

これがきっかけで、アトムさんの方から舞台をやりたいと言うことでトムに所属することになりました。その後、「とんでもない女」「ダモイ~収容所から来た遺書~」ひとり芝居「思ヒ出ニ、タダイマ!」「欺瞞と戯言」「裏小路」「沖縄世うちなーゆ」の舞台出演。時折、彼特有の個性、声を活かしての市民からの様々な感謝の手紙を基に構成した「ありがとうの手紙」などなど、トムの創成期に力を貸して頂きました。

アトムさん繊細な人でした。折に触れ演劇論も戦わせました、彼独特の拘りが末永くこの世界で生き残って来たのだと思います。

闘病中にお見舞いに行ったときに朦朧とした記憶の中、「アトムさん、又芝居やりましょう!」と声を掛けると、この時ばかり目を輝かしながら「うん!」と答えていました。24年前にアトムさんに出逢って良かった!そしてありがとう...アトムさんとの数々の想い出はおいらの宝物のひとつですよ。

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おつかれさまでした

2025/02/12
【第1997回】

いやいや演劇三昧、怒濤の日々の連続でございました。トムの「おばぁとラッパのサンマ裁判」が3日から9日まで7ステージ、10日は浅草九劇で昼間に「日の丸とカッポウ着」、夜は吉祥寺シアターで「女性映画監督第一号」、11日は座高円寺で「おどる葉牡丹」を観劇。こんなに毎日芝居観てると好きな芝居も嫌いになりますがな(笑)勿論、演じる方はもっと大変でしょうが観るエネルギーも相当な覚悟がいります。後期高齢者となれば劇場の椅子の質によって腰の負担もかなり厳しくなってきます。小劇場系統の席は大劇場のゆったり高価な椅子と違って、パイプ椅子同等のものが当たり前で時折身体の位置を変えねば固まってしまい劇場を後にする姿は見るも無惨な歩きとなってしまうという方もございますことよ。

今回、全体的に感じることは若い役者さん皆器用に演じてることにビックリしました。確かに上手い、隙がない、達者である...でも、いまひとつこちらにその演技が響いて来ない。今の若者の生活環境からきていることは紛れもない事実だ。あらゆるジャンルの音と映像に囲まれ、様々な情報を手っ取り早く仕入れ、なにひとつ手に入らないものがないという便利さが器用さに繋がっているのでは...不便極まりない時代のなかでの俳優修業を強いられた者は、その足りない分野を埋め合わせるために想像力を感興しながら駆使したに違いない。

昔から不器用な役者ほど、何とも言いようのない存在感を示していたような気がする。そんなに早く上手さ器用さを求めるな!己の固有の心身に無駄なモノこそ引き受け、十分に咀嚼、熟したものを表現して欲しい。

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浅草路地裏からのスカイツリー

2025/02/10
【第1996回】

昨日、「おばぁとラッパのサンマ裁判」新宿紀伊國屋ホールで無事に東京公演千秋楽を迎えることが出来ました。プロデューサーとしては日々戦々恐々、メールや電話がかかってくる度にドキリ。キャスト、スタッフのなかからのインフルエンザ、コロナ感染、事故の知らせではないかと心配の毎日でした。この報が流れた時点で芝居は中止せねばなりません。ライブはこれが一番怖いのでございます。幸いにして今回のメンバーの細心の注意と集中力で何とか乗り越えることが出来ました。昨日は3度のカーテンコールがあり、客席も大いに盛り上がりまさしく千秋楽に相応しい舞台だったと思います。

この芝居、沖縄が舞台の芝居だけに多くの沖縄の方々が観客として来て頂きました。皆さん口をそろえて沖縄公演を実現して欲しいとおっしゃっていました。地元沖縄の人達にそう言って頂けると言うことは、我々の沖縄に対する幾重の思いが伝わったんだと...と言っても、未だに地位協定の問題ひとつにしても石破、トランプの初対談でも話題にもならず、悔しい思いをするばかり...でも、今回のサンマ裁判同様、負けても負けても何度でも諦めることなく主張するしかありませんね...芝居も然り。

この芝居、これから千葉県野田市、長野県上田市、茨木県つくば市、福井県越前市、和歌山県有田市、大阪府富田林市で上演されます。ご近所の方々、是非劇場に足を運んでより沖縄を感じて頂ければと思っています。

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今日のメタセコイヤ

2025/02/07
【第1995回】

昨日で4ステージ無事に終えることが出来ました。概ね好評でホッとしていますが、芝居の捉え方は人それぞれ、ラストの締めくくり方が今の沖縄の現状を鑑み楽観的では無いかとの意見も当然あることでしょう...確かに歴史を振り返ってみれば、明治維新の際に琉球処分で統合された沖縄県で当時の言論人である伊波月城が教育を始めとする沖縄人蔑視を巡り政府を批判。本土での大正デモクラシーと共鳴し列強に脅かされていた中国、インドと連帯しアジアでの民族覚醒を呼び掛けた過去がある。

ただ見ての通り、沖縄はいままさにアジアでのチカラによる分断の最前線にある。敗戦後未だなお在日米軍基地が日本全体の70%を占め、なおかつ自衛隊の配備が着々と進められている。この中からどうアジアの可能性を見出すかが大きな課題でもある。アメリカ、中国、ロシアが大量の核を保有し身動きが取れない中、小国や限られた地域の当事者が今の状況を変えていくことが出来ないか...沖縄の人達は、戦争が起こればどんな悲惨な状況になるかは身に染みてわかっています。だとすれば、いかなる攻撃も許さないよう沖縄から非武装地帯を拡げていくなんて構想もありだと思います。

こうやって沖縄の芝居を上演していると、沖縄の知らざる歴史を探索したくなります。なんでも諦めてしまえば終わりです。だってほとんどの日本人が沖縄の今の姿に、許せない!と思いつつもそれ以上声をあげようとしません。沖縄の問題は対岸の火事ではございません。

見て見ぬふりしてると、そのうち大やけどしちゃいますよ。

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童子を待つ公園

2025/02/05
【第1994回】

「おばぁとラッパのサンマ裁判」2ステージ終えることが出来ました。ほぼ満員客のなか役者陣の個性溢れる演技も相まって好評の舞台になっています。今回の芝居、役者さんのプレシャーは半端じゃなかったと思います。テーマが沖縄、これまでの沖縄の人達の苦渋を強いられた背景を考えると、そう易々と演じることが出来ない。先ずは沖縄の現地の人達が日常に会話する言葉のニュアンスを察するところから入り、人物像に迫っていく過程は並々ならぬ関門。役者個々人の苦労話を聞く度に頭が下がる思いでした。

終演後のお客様の反応は上々。沖縄が日本に復帰するにあたり、サンマに関してこんな闘いがあったなんてビックリ。ある意味では沖縄の数々の歴史の中での隠された裏歴史。芝居を創る側としては、この歴史の闇に葬り去られた事実を掘り起こし演劇として成立させることが醍醐味のひとつかも知れません。

芝居の面白いところは、日々同じことを演じることがないという新鮮さ。まさしく芝居は生きモノ、瞬時に空気が変わり前の日に演じた光景が変質し新たなシーンとして誕生する。そのおもしろさを連日味わえるのもプロデューサーの特権です。だから止められないのかな...

昨日の役者さんのアフタートークもお客様十分に楽しんでいただけたみたいです。舞台と客席の一体感とてもしびれます。とにかく劇場に足を運んでくださいな!今までに見たことのない風景があなたの日常に変化をもたらせてくれるに違いありませんことよ...

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絶賛上演中

2025/02/03
【第1993回】

如月の季節がやってきました。おいらがこの世に生を受けた月です。1945年8月9日終戦前にソ連軍が満洲、朝鮮に日本との不可侵条約を無視して侵攻して来ました。おふくろのおなかに潜んでいたおいらは引き揚げ時の悪夢のような日々を感じ取ったに違いありません。そして奇跡的に1946年2月に博多港に引き揚げ誕生しました。生前、母は口癖のように言ってました。「戦争は勝っても、負けても悲劇...戦争程愚かなものはない!」なのに、今尚世界各地で争いが絶えません。いや、これは人類が絶えない限り間違いなく継続されるに違いない。

戦後80年、おいらと共に年を重ねていったこの年月感慨深いものがあります。トム・プロジェクトを創設して30年、何度となく戦争に纏わる芝居を創ってきました。何度も何度もしつこいくらい平和の尊さの声を上げても一向に戦争が止むことはありませんでした。でも、今生きてる者があらゆる手段を行使してでもアクションを起こさねばより劣悪な世界が予想されること間違いなし。

今年も戦争と平和をテーマにした芝居を4本上演します。その1本目「おばあとラッパのサンマ裁判」今日、初日を迎えます。劇場に足を運んでいただき、共に平和の大切さを感じていただければと思っています。

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如月の空