2025/09/29
【第2090回】
演劇群「走狗」の主宰者、関口瑛さんが亡くなり、なんとなく当時の資料を探してみたら
こんな一文が見つかった。1976年に第6回公演として上演された、空飛ぶお座敷南下飛行「空賊」博多公演に向けての檄文である。
私たちは、旅公演につきまとう<東京―地方>といった問題のたてかたは全くないし、私たちのリアリティだけで旅公演がやりおおせるとも考えていない。公演地の先々で出逢った人びと、これから出逢う人びとと、どういう関係をとり結べるかー結べないか、そこにかかっていると思う。ほとんど無名である私たちの側がなし得ることは、私たちのつくる舞台空間の凝縮度そのものでかかわる以外にない。私たちの博多公演に時間をさいてくださった何人かの方がたも、それが大きな拠りどころであろうと思う。
いうまでもなく私たちは、単に芝居が好きだからだとか、役者をやるのが面白いからとか、なんか変わったことをやってみたいからといった自己満足や趣味性をたちきって、私たちがしばいを続けていることの意味や意志をみつめながら舞台にむかっている。いいかえれば生活圏のなかでしいられる、愛憎の対象やしぐさの固着・抑圧・馴れ合いを激しく嫌って、やみくもに流れ、ひたすら淀んでいる今日的な状況から演劇表現へ出立しようとしている。私たちも又、生活日常から自由ではなく、であればこそ、生活圏からの、あるいは生活圏への反撃というしがらみのなかにしか契機もゆくえもない。更にいうなら、それが演劇集団のしばいをつくりあげていくエネルギーや共同性に裏打ちされた表現でなければならないと思うし、めざしているのが私たちの現在位置であるといえるだろう。
作・演出 関口瑛
いつの時代も、自問自答しながら演劇人は日々思案に明け暮れています。そして、いかに凝縮度の高い舞台空間を提示できるか!瑛さんの思いも含めてやる続けていくしかないですね。
1976年「走狗」公演チラシ