2026/02/27
【第2149回】
傘寿、80歳になりました。よくぞここまで生きてこられたなとおいらも驚いています。1945年8月15日の終戦を待たず、8月9日にソ連が満州に攻め込んできました。そのときおいらは母のお腹の中でびっくりしたのでは...その後、地獄のような逃避行の末、1946年の2月博多に引き揚げ誕生しました。今は亡き母の話によるロシア人による蛮行の数々のなかで、よくぞこの世に生を受けたことは奇跡だと思っています。
戦後の貧しい時代ではありましたが、博多での暮らしは西鉄ライオンズと映画があったからこそ頑張れました。少年時代は新聞配達、おきゅうと、納豆売り、中学時代には郵便配達が加わり、高校時代は土方の仕事もしました。苦労?いやいや楽しい日々でした。仕事の現場で人の生き様を見させて頂いたお陰で、その後の生きる智恵を授かったのでないかと思っています。底辺に生きる人達からは人間の価値は、お金でもなく地位でもなく、困っている人達にどれだけ優しく手助けしてあげられるかの大切さを学びました。
東京での長年の生活も、悩んでいる暇がないくらいの充実した日々でした。大学時代は学生運動のまっただ中、授業があまりなかった分、新宿で日毎繰り広げられる多種多様なカルチャーにどっぷり浸かっていました。その狂乱の現場はもう二度と体験できないくらいの心荒ぶる出来事の連続でした。そんな刺激を受けて芝居の世界に首を突っ込む羽目に陥りました。芝居をやっているのか、酒を飲んでいるのか、これもまた芝居中毒に嵌った集団ですから怒濤の日々でした。
そんな日本での生活から離れ、32歳の時にスペイン一人旅を決行しました。浅草で買った千円の浴衣と森進一、鬼太鼓座のカセット、ラジカセを持参しての大道芸の旅。この珍道中が面白く、その後世界のあちらこちらを放浪しました。
40歳の時、帰国し落ち着いたものの何かしなきゃたべていけませんがな?といろいろバイトで食いつないでいたのですが、結局のところ好きな芝居の世界に行き着いた次第です。
トム・プロジェクトがここまでやれたのも、おいらのハチャメチャ人生をなんとか生き延びれたのも、すべて出会った人達のお陰です。
これからも、「俺が俺がの我<が>を捨てて、お陰お陰の下<げ>で生きる」を忘れず、一応90歳という目標に向かって、のんびりと過ごすつもりですのでよろしくお願いします皆の衆。

梅も咲き
年をかさねて
夢も咲く

