トムプロジェクト

2024/12/27
【第1981回】

今年も今日で仕事納め。元日の能登半島地震に始まり、未だに止まない世界での紛争、侵略、自然災害などなど平和な世界なんていったいいつ出現するんだろう?なんて不穏、不安な様相を呈している現状に戸惑っています。この国の政治も、先の選挙で自公が過半数割れしたおかげで少しは緊張感ある議論になったのかな?と思いたいのだが油断は禁物でございます。表面では大人しく振る舞ってはいるものの、いつ化けの皮が剥がれるかわかりません。

それにしても今年は才気ある方々が随分と亡くなりました。道半ばの無念の死もあれば、燃焼した末の最期を迎えた方もいると思います。しかし、おいらの年になると正直言っていつお迎えが来てもおかしくないのではと考えてしまいます。そりゃ、健康で少しでも長生きしたい願望は当然のごとくありますが、ここまでまあ何となく自分らしい生き方をしたことを思えば悔いはありません。第二の故郷であるスペインにも最後に行ってみたいとは思っていますが、この世界の荒れようでは、嘗てののんびり自由気ままなスペイン旅もままならないような気がして躊躇してしまいます。

トム・プロジェクトもすべての公演、事故もなく無事終えることが出来ました。これも公演に関わったキャスト、スタッフのおかげです。そして何よりも劇場に駆けつけてくれた多くの観客の皆様が居なければ成立しないのが演劇です。そして、劇場を満足げな表情で後にする皆さんの姿を見るのがプロデューサーの大きな喜びでございました。

いつものことながら来年こそは良い年を!と願ってますが、まずは足元からしっかりしなければと改めて思っています。来年は1月6日から仕事始めです。

皆様も心豊かな年末年始をお過ごしくださいね。

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年末の南新宿

2024/12/25
【第1980回】

久しぶりに今年4月に78歳で亡くなった星野富弘さんの詩画集を開いてみた。星野さんは体育教師だった24歳の時に大怪我で首から下が麻痺してしまう。以後、つきっきりで介護してくれる母に対して絶望から怒りを持つようになったそうだ。そんな折に生きる意味を教えてくれたのが、それまで何の関心もなかった道端にひっそりと咲いていた野花。

 

「この花は この草にしか咲かない そうだ 私にしか できないことが あるんだ」

 

その日から星野さんは、口にくわえた筆で四季折々の花々を描き言葉を添える。初めてできた時には、絵そのものより希望という言葉が全身を覆いつくしたそうだ。彼の詩画を見るたびに感じることは、そこに人間の限りない強靭さと優しさ。小さな命を愛おしみ、目に見えぬ何かに感謝する姿。

 

「神様がたった一度だけ この腕を動かして下さるとしたら 母の肩をたたかせてもらおう 風に揺れる ぺんぺん草の実を見ていたら そんな日が 本当に来るような気がした」

 

五体満足な身体を備えていながら日々ブツブツ文句たらたらこぼしている人たちに星野さんの本を一読してもらいたい。

今日はクリスマス。あちらこちらで楽しく過ごしている様子が目に浮かびます...この日にも戦禍に追われ安住の地を求めている人、飢餓に苦しんでいる人達のことを忘れないで欲しいと願っています。

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Merry Xmas

2024/12/23
【第1979回】

先週の土曜日は、すみだパークシアター倉で劇団桟敷童子公演「荒野に咲け」を観劇。劇団を始めて25年、創立メンバー9人のうち現在も5人が残っている。今回の公演は25周年ということもあって外部から役者を呼ばず、16名の劇団員での総力戦。この劇団の特徴である伝承劇ではなく主宰者である東憲司さんが10年前以上から温めていた物語である。実際のモデルがあり、あまりにも辛く重すぎて何度も挫折しそうになったそうである。今回のストーリー同様、劇団桟敷童子の辿った道も悩み苦しみ、落ち込み、疲弊し打ちのめされる日々であったのだが、演劇をやれるという幸せな思いで継続できたそうだ。

その思いが見事に結実した今回の芝居。おいらが何度も慟哭し涙した過去の作品を思い起こさせるシーンが最後に圧倒的なスケールで展開された。劇団員の演劇愛が表現に衣装に照明、装置に内包し観る者の琴線を激しく揺さぶる。すべてが劇団員の手作り作業によって産み出されたというだけでただただ頭が下がる思いだ。

何度も書いているが、これこそが演劇の原点であり演劇でしかできないヒューマンワークではなかろうか...人力、職人芸、もはや時代の流れに置いてきぼりにされがちなのだが、人の血の温もりを直に感じてこその創りものだからこそのアートだと思う。

劇場を出ると、相変わらず少年の面影を残す東憲司さん。これからも30年を目指して走り続けるそうだ...こんな稀有なる劇団いつまでも応援しまっせ!

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劇場近くの公園から

2024/12/20
【第1978回】

最近の居酒屋さんのスマホでQRコードでの注文まいりましたね...タブレットでも面倒くさかったのになんですか!勿論、人手不足、人件費削減わかりますよ。でも、居酒屋でのコミュニケーションは大切な要素だと思いますよ。飲み物、料理などなど、量も含めてどんなものか聞いてから注文したいし、店員さんとのやりとりも楽しいはずなのに。店員さんが同郷の人だったり、バイトの学生さんだったらどんな勉強しているのか聞いてみたりと人の輪が拡がる楽しみがあるじゃありませんか...と、おじさんは勝手に夢想してるんですが、面倒くさい!という若者も当然いるとは思っています...でも、バイトをしながら多種多様な人たちの人生を垣間見る絶好のチャンスだと思います。

ある店では、スマホを持たないおっちゃんが今時のシステムに怒っていいのか、戸惑いながら店を立ち去る光景を目にしたことがありました。確かに他人の当たり前が、自分の当たり前と違うことは随分前からあったけれど、今の時代のスピードと人のオツムの中がどうなってんの?と思うことが多々あることは確かである。

未来の居酒屋は無人のお店。ロボットが調理し配膳する姿が目に浮かびます。お客はロボットと無機的な会話をしながら静かに食事するなんて、まるで葬儀場みたいな居酒屋ですね。

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まだまだぶら下っているザクロちゃん

2024/12/18
【第1977回】

今朝の京王線井の頭線車内での出来事。おいらが座っていた優先席の斜め前の6名の小学校2、3年生くらいの子供たちが大きな声を出しながら言葉遊びのゲームをやっていた。そのうちに体をぶつけあったり、小突いたりと動きがせわしくなってきた。前の座席のお客さんに今にもぶつかりそうになるのだが誰も注意しない。いい加減おとなしくなるだろうと思いきやエスカレートするばかり。心根の優しいおいらの我慢を越える醜態に「静かにしなさい...ここは自分の家じゃないんだから」とあくまでも穏やかに注意した。さすがにおとなしくなったのだが、おいらに反抗的な態度で睨みつけるガキが二人ばかり。

先週の伊勢の旅でも同様な光景を目にしたばかりだったので、堪忍袋の緒が切れてしまいました。伊勢の場合は母親が居るにもかかわらず野放し状態、間違いなく親の躾がなっていないというのか、公共の場と我が家との区別がつかなってきているゆるゆる関係が、家庭、社会に蔓延しているんでしょうね。

自由というのは規律というものがあっての話。なんでんかんでん好き勝手にやっていいもんじゃございません。SNS然り、言いたい放題やりたい放題、言語の垂れ流し、自分が吐いた言葉に責任をとるどころか無知なる人達に悪影響を及ぼし、挙句の果ては国を支配する力までとなる恐怖を感じます。

年々、少子化に向かうこの国において子供たちがどう育っていくのかはとても重要な課題だと思います。どうか、子供のころからアートに触れる時間を少しでも多くの時間を割いてもらいたいと願うばかりです。文化は国のバロメーターでございますよ!

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冬の黄昏

2024/12/16
【第1976回】

先週の週末は、年に一度のお伊勢参りに行ってきました。もうかれこれ十数年になります。2000年の歴史がある内宮と外宮、先ずは衣食住を始め産業の守り神である豊受大御神をお祀りする豊受大神宮(外宮)に参ります。伊勢駅から直進したところにあります。大鳥居をくぐり、日々掃き清められた玉砂利を踏みしめながら何百年にわたって聳え立つ樹木を眺めながら、豊受大神宮に参拝したあと別宮である多賀宮に向かいますが、この階段が後期高齢者にとってはハードでございます。この一山を越えるとやっと伊勢神宮の仲間入りした気分にさせてくれます。内宮に向かうバス停付近には、美味しい食べ物さんがあるのですがここは無視して内宮に。15分ほどで到着、およそ2000年前、垂仁天皇の御代から五十鈴川のほとりに鎮まります皇大神宮は皇室の御祖先であり、我々国民から総氏神のように崇められる天照大御神をお祀りしているところです。内宮への入口、五十鈴川にかかる全長101.8m、巾8.4mの宇治橋は、日常の世界から神聖な世界を結ぶ架け橋といわれていて、この橋を渡ると同時に身心ともに清浄な宮域に入る心構えを感じさせてくれます。そして長い玉砂利、左右に鬱蒼と生い茂った大木を目にしながら正宮皇大神宮への道のりは、俗世間で身に付けた垢を取り除いてくれる気がしてくるんですから不思議です。

こうやって、あれやこれやの一年間を総括し新年を迎える...何事も節目が大切です、それでなくてもこの激動の時代、世の中の流れに流され己を見失い、気づいた時には後の祭りなんてことがあっちゃこっちゃに見受けられますからね...己にしかと楔を打ち込むためにもね!

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伊勢神宮の紅葉

2024/12/13
【第1975回】

いよいよ冬将軍到来の季節がやってまいりました。

春日太一著「鬼の華~戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折」読了。黒澤明監督作品の常連であった脚本家。その黒澤明が「お前は原稿用紙のマス目を使ってサイコロ振っている映画の賭博者だ」と語ったそうだ。1918年に生を受け、兵役に就いた20歳の頃、結核と診断され余命2年と診断される。その後、伊丹万作に師事してシナリオを書き始める。デビュー作が、海外で賞を受賞しそれまで国際的にほとんど知られていなかった日本映画の存在を、世界に知らしめることになった「羅生門」。その後、「砂の器」「八甲田山」などなど数多くの話題作を執筆。彼が何に拘り何を描きたかったか...人間が時間をかけて積み重ねてきたものを、自分たちではどうにもならない圧倒的な力が無慈悲に打ち崩していく...そんな鬼の所業に理不尽に踏みつけられる人間の物語を書きたかったのかもしれない。

今回の著者、春日太一。以前「天才 勝新太郎」を拝読し、彼の日本映画に対するとてつもない愛情を強く感じていました。今回の作品も12年の歳月をかけ、波乱に満ちた生涯を膨大な取材、調査により橋本忍の才能と俗なるものを巧みに交錯させ、映画史上に燦然と輝く巨人を描き切った作者の思いが480ページに叩き込まれている。

すべてが消費、消耗と化した現世では、こんな脚本家が現れるのは難しいのかもしれませんね...もう一度、日本映画全盛時代の作品を検証することから始めねばと思います。

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新宿西口甲州街道

2024/12/11
【第1974回】

新宿のジャズ喫茶の先駆者であった中平穂積さんが88歳で亡くなりました。新宿アルタ裏に今もあるロールキャベツアカシアの3階にオープンしたジャズ喫茶「DIG」はおいらの青春そのものでした。まだ若かったオーナー穂積さんの煎れる美味なるコーヒーと、数多くの名盤レコードを上手くチョイスしながら針を落とし店内をジャズ一色にしてしまう演出は見事でした。勿論、私語は禁止、沈思黙考しながら聴き入るお客、読書しながらBGMとして聴き流す客、それぞれのスタンスで心地よい時間を過ごしていました。おいらもこの空間で2時間~3時間至福の時間を楽しみました。音楽も時代と共に変遷の道を辿りました。フリージャズの登場は刺激的、ジョン・コルトレーン越えようとしたピアニストのセシル・テイラー、サックスのアルバート・アイラ―、オーネット・コールマン。彼らの出現は恰も世界各地で起こった既成の政治、アートをぶっ壊す運動と見事に連動していました。今でもマンネリに陥りそうになった時には、彼らのCDを取り出し己に喝を入れています。

その「DIG」も閉店し今は紀伊国屋書店裏、靖国通りに面した「DAG」を残すのみです。

息子である中平塁さんが飄々とした佇まいで頑張っています。昼間の時間が狙い目ですね。夜になると常連さんとどこぞで聞きつけた新規のお客さんで溢れかえり、ジャズ喫茶というよりもジャズバーの賑わいで音自体は添え物かな。

 

昨日、ノルウェーの首都オスロでノーベル平和賞の授賞式がありました。日本被団協の受賞挨拶を代表の田中熙巳さんがスピーチしました。92歳とも思えぬしっかりとした言葉が印象的でした。世界の狂った指導者に届けばいいのですが...でも、これも確かな一歩です。

核無き世界、夢みたいな現実ですが現存している人たちが思い行動に移さねば間違いなく人類滅亡のシナリオは進んでいる気がしてなりません。

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幻想2

2024/12/09
【第1973回】

昨日は、新宿浪漫房にて唐十郎をしのぶ...「さすらい」に出席しました。唐さんに触れあった90名ばかりの人達が、数々の武勇伝を持つ唐さんの話で盛り上がっていました。嵐山光三郎さんの乾杯の挨拶から始まり、次は麿赤児さん、そして状況劇場で女形を務め人気を博した四谷シモンさん。一番面白かったのは篠原勝之さん、新宿ブラブラしていたら唐さんに声をかけられポスター、美術を担当させられたらしい。ギャラはもらえなかったけど人生のなかで最も充実した6年間だったらしい。皆さん共通していたのは、お互いがお互いに変な奴を探していたと言うことだ。決まり切った人生ではなく、とてつもないリスクがあるにも拘わらず、おもろいことをやったろう!と言う気概を全面に出しながら夜毎新宿の街をふらついていた...おいらもそのひとりなのだが、それはそれは1970年前後の新宿の街は猥雑でありながら夢と浪漫と冒険心を育む絶好の場所であり、変わった輩探しの日々でもありました。

そんな中で見つけた新宿花園神社での状況劇場紅テント公演は衝撃でした。既成概念をぶっ飛ばす特権的肉体を持った役者の氾濫、テントの空間に飛び交う詩的言語、ラストには舞台後方のテントが取り外された向こうに見えるのは車と人が行き交うリアルタイムな新宿。まさしく虚と現実を一瞬に交差させる唐マジックに酔いしれてしまいました。

唐さんは亡くなりましたが、唐さんが生涯変わることがなかった演劇に対する姿勢は、今活動している演劇人にとっても大きな指針になっていると思います。

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おつかれさまでした

2024/12/06
【第1972回】

昨日は新宿シアタートップスにて名取事務所公演「メイジー・ダガンの遺骸」を観劇。日本でも珍しいアイルランド演劇です。アイルランドはイギリスを含む周辺諸国からの侵略や差別など度重なる苦難に耐え抜いてきた歴史があり、その影響からか国民は非常に我慢強い性格をしています。同時に、負けん気が強く、ある意味でとても頑固な性格とも言えますが、正義感や責任感も強く、情に深い一面があり、自分を曲げない芯の強さがあります。気骨、もしくは奇骨の民族であり死神のような低温のユーモアを持ち、起き上がった病み犬のような痛ましい威厳を感じさせる独自の修辞を供えているユニークな国でもあります。

この日のパンフレットにプロデューサーである名取氏が「んんー、読んだけどナニがナンだかサッパリワカラン。ワカランけどやることにした。」なんてメッセージが記されていた。この正直さが、この堅苦しい演劇界に新しい風を送り活性化させているのかもしれない。訳知り顔で能書きたらたらくっちゃべってる輩より余程信用できるかも...

芝居の内容は、焼け落ちたキッチンの残骸の空間に、愛情を素直に受け止めたりできない父親、生きづらい人生を送ったために死んだ方がましだと思う母親、誰からも愛されずネグレクトされて育った弟、両親の悪い模範を見て育ったために恋人の愛情表現が暴力的になってしまう娘、この4人が激しく罵り、時には暴力をふるう様を演じて見せる。異国での物語ではあるが世界のどこの家庭でもありうる話である。

娘を演じたトム所属の滝沢花野の思い切りの良い演技が印象的でした。最近トムではあまり出番がないのですが、演劇ユニット「理性的な変人たち」を立ち上げたり客演したりと旺盛な活動を通じて目を見張るような女優になって来ているのがとても嬉しい!

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幻想

2024/12/04
【第1971回】

今日は、アフガニスタンで医療支援や灌漑事業を進めてきた「ペシャワール会」の主宰者であった中村哲医師が、現地での支援活動中に銃撃され命を落とした日です。その日からはや5年が経ちました。異国の地、しかも後進国の劣悪の環境の中で身の危険をものともせず活動している人達には本当に頭が下がります。中村哲さんが「目の前に困っている人がいたら手を差し伸べる。それは普通のことです」と平然と言葉にして実行に移す。これがなかなか出来ないのがこの世の人達です。哲さんみたいな人達が織りなす政治、行政であればこの国も少しはましになっていたかもしれませんね。

もともと神経内科医だった哲さんは1984年に福岡の病院からペシャワールの病院に赴任。難病だったハンセン病患者の治療に奔走した後、現地に診療所を設立。その後、米国による対テロ戦争で現地も治安が悪化、2003年からは大河の水を引いて渇いた大地を潤す「緑の大地計画」に着手。「ペシャワール会」の会員であるおいらの所にも、緑豊かに変貌した写真が送られてきます。哲さん自身がブルドーザーを操作し、シャベルを手にして乾いた大地を掘り起こす写真を見るたびに勇気を頂きました。

おいらと同年齢、哲さんの志を引き継いでなんとか少しでもこの国を、世界を心豊かにしていきたいと思っています。

おいらの仕事場の机の前には、友人である書家井上龍一郎が描いたカレンダーがあります。12月の言葉は「かつて忌避された死の荒野が豊かな草地を生み、遊牧の群れが続々と集まってきます。この光景の中に平和があります」

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アンネのバラとメタセコイア

2024/12/02
【第1970回】

先週の土曜日には久しぶりに浅草に行って来ました。いや大変な賑わいでございました。中でも外国からの観光客がレンタルの着物を身につけあちらこちらで記念写真を撮っていました。浅草寺、昔からの演芸館、そしてディープな飲み屋街には道路にまではみ出したテーブルでワイワイガヤガヤ、モダンな所よりも人の体温が直に感じられる所での一杯がなんだかホッとしていいんでしょうかね...コロナの時期に閑古鳥が鳴いていたときがまるで嘘であるかのような光景でした。

この日の目的は、トムでもお馴染みのふたくちつよしさんの作、演出による浅草九劇での芝居。老舗劇団青年座の有志が集まり「時計屋のある町で」を上演。昭和60年、東京下町にある時計店で繰り広げられる家族のドラマ。正確で安価なクオーツ時計の波にさらされ閑古鳥が鳴くなかで、頑なに機械式時計に拘る店主をこのカンパニーの主宰者である津嘉山正種さんが淡々と演じている姿が印象的でした。作家然り、80歳になる津嘉山さん然り、この便利になりすぎた時代への警鐘、抵抗を、昭和という時代を通して人間らしさを失うことなく生きてきた庶民を描きたかったと思います。

おいらにとっても昭和という時代はインパクトがありました。戦争という暗い時代をくぐり抜け、貧しいながらももがき苦しみ平和を目指した庶民のすさまじいエネルギーのなかから目を見張るようなアートが生まれ、新しい産業を創出し、生活に潤いをもたらしてくれました。何事もそうですが、過ぎたるは猶及ばざるが如し、ここまですべてが先鋭化し利便性を追求すると簡単に後戻りできないのが資本主義社会の宿命。

終演後、ふたくちさんご夫婦とお疲れ会をとお店を探したのですが、どの店も満員喧噪状態、こんな時はちょいと横道に逸れるとこじゃれた居酒屋が見つかるもんでございます。しっかりと煮込んだおでんで一杯、久しぶりの浅草での一日でした。

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久し振りの浅草