トムプロジェクト

2017/02/24
【第925回】

新宿の街から、いかがわしく淫靡な匂いが無くなってきました...銀座、青山、六本木、渋谷なんかに比べて新宿はカオスが売りです。得体の知れない輩が徘徊し一歩間違えば、身ぐるみを剥がされる危険な街です。だからして女性の人気はいまいちですが、おいらのような好奇心がひと以上に強い人間にとっては、飽きが来ない街です。ほんまもんの文化は、人間の奥深く潜む欲望を嗅ぎつけないと生み出せんがな...当たり障りのない口当たりの良いお洒落な街も嫌いではないが、その表層をぺろりと舐めても文化そのものの本質には辿り着くことが出来ません。しばし、戦士の休息場としての街でしかありません。クンクンと日々嗅ぎ廻る戌年のおいらも、たまには流行たるものに接し身支度を調えるぐらいのエチケットはわきまえていますがな...さっき、新宿のアルタの自販機前でホームレスのおっちゃんが自販機前のブロック石を持ち上げ自販機の下を必死の形相で覗いていました。釣り銭が落っこちて普通では取れない諦めていった小銭がないものか探しているんですね。この平和な日本で生死を彷徨いながら捨て身で生きてるこの姿を見て何を感じるか?ここんところが勝負の分かれ目かもしれませんな...命果てるまで生きることの意味、心想する日々でがんす。

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半世紀前アルタ前での唐十郎

2017/02/22
【第924回】

前回は母のことを書いたので、父が「俺のことも少しは書いてくれよ...」なんて声が聞こえてきたので記さなあきまへんな...おいらの父は、54年前に亡くなりました。広島県呉市の出身で岡田家は裕福だったそうです。その当時男3人兄弟すべて大学に行かせるぐらいですから...しかし、明治末期に生まれた父敏雄は、東京の医学予備校に行ってはいたんですが、どうやら遊びの方が好きで父だけが大学を諦め、親が経営する旅館の跡継ぎをまかされ大陸に渡ったそうです。そこで母と見合いし結婚(母が言ってましたよ...この人がどうこうと言うより岡田の家であれば子どもたちを幸せに出来そう...とうちゃん可哀想)そして終戦、苦難の末引き揚げ船で博多港に帰国を果たす。戦後の闇市で、高級野菜の商売に成功するも、生まれ持っての人の良さから騙され一家はどん底を味わう。しっかりもんの母のお陰で、5人の子沢山でも乗りきることが出来た。父も母に煽られいろんな仕事にチャレンジしましたな...焼き芋や、ラムネ売り、ボンボン釣り、いやいや少年キヨシ君も手伝いましたがな。父がふらりと出かけたあとおいらも欲しいもの(西鉄ライオンズ選手のメンコ)があったので売り上げを拝借したこともありました(とうちゃんごめんちゃい...)平和台球場でのラムネ売り、リンゴ箱売りでの手伝いは、西鉄ライオンズと共に過ごすことが出来たので燃えましたな(とうちゃんありがとう...)

でも、こんな父も子供には優しかったですね。良くお土産を買ってきて子どもたちの喜ぶ顔に満足していました。おいらは、ある時、兄と大喧嘩をしたときに、おいらを一方的に責める父に我慢できず、家を飛び出しちゃったので父のその後の優しさには触れずじまいでした。父が一番嬉しかったのが、兄が九州大学に入学したときでしたね...嬉しさのあまり大好きだった酒を断ったのが命取りになり、脳梗塞であの世に逝っちゃいました。気丈な母が亡くなった父に添い寝している姿を見ながら、おいらも止めどなく流れる涙を拭うことなく早朝、新聞配達に出かけたのを今でも鮮明に記憶しています。

今頃、父と母は、あの世で半世紀ぶりに再開を果たし思い出話に花を咲かせていることでしょう...とうちゃん、かあちゃん、奇跡的においらをこの世に送り出し、育ててくれてありがとう!まだまだ、おいらは浮き世で楽しみますからね...

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おいらが画いた父

2017/02/20
【第923回】

昨年の今日、母は97歳で旅立った。今日は一周忌である...97年の生涯は、まさしく波瀾万丈である。佐賀で生まれ、東京で少女時代を過ごし、佐賀武雄高女を卒業し教師になるが、朝鮮半島に渡り岡田旅館を経営していた長男敏雄と結婚。旅館の女将跡継ぎ修行中に敗戦、8月9日にソ連軍が侵入し地獄図を見る日々の中、1946年2月に奇跡的に帰国。この月においらを産んだわけである。おいらは十月十日、お腹の中でソ連軍の野蛮な行為、侵略された怒りを晴らす朝鮮、中国の人達の復讐。人間のあさましさを感じ続けていたわけである...この経験から母がおいらに何度も言い続けた言葉が「戦争は勝っても、負けても惨めである...戦争だけはどんなことがあってもしたらいかん!」終戦後も母の戦いは始まる...父が早く亡くなり、5人の子供を一人育て上げたのである。今でも覚えてるな...学校を終え新聞配達中、母が荒くれ男たちに混じって道路工事をしていた姿。ほうかむりした母の顔は日焼けしており垂れる汗を拭う暇なく砂利を黙々と運んでいた。おいらが上京し、美輪明宏の「ヨイトマケの唄」を耳にしたときには、おいらは母の姿と重なり号泣した記憶がある。昼間の仕事を終えた後も家事を済ませ、夜は遅くまで筆耕(ガリ版印刷、原稿を金属のヤスリの様な板を下敷きにして、蝋のようなものが塗ってある紙に鉄筆でガリガリ書いていた。)おいらの枕元で、明け方近くまでガリガリとした音がして寝れんかったのだが、母が子を思う辛苦にただただ涙した。そこで、おいらは母の負担を少しでも減らしてあげたい一心で、いくつものバイトをやり自立の道を選択したのである。上京したときも、おいらのわがままを許してくれた母に感謝...大学出ても風来坊人生を彷徨ってるおいらに小言も言わず、時折来る母の達筆な手紙には「身体だけは気をつけて、美味しいもん食べないかんよ...」幾つになっても、おいらにとっては逞しく知的で優しい母であった。子どもたちが成人した途端、これまで出来なかった絵画、短歌、手芸などなど多種にわたり趣味に没頭する日々を取り戻し活き活きしていた。おいらも何とか親孝行に間に合い、温泉に連れて行くと嬉しそうな顔をしていました。85歳に脳梗塞で倒れ、身体は不自由であったが向上心は枯れることなく最後まで凛とした姿で生涯を終えることが出来ました。

おふくろ!おいらももうすぐ71歳になります。70代のおふくろは少女の様に活き活きしていたね...おいらも負けずに少年のような気持ちで日々過ごしています。おふくろの年齢まで生きられるかどうかは分からんけど、おふくろの子であることを誇りに思い、最後まで愚痴を零さず、己磨きを怠ることなく、世のため人のために生ききりますばい...

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母の作品

2017/02/16
【第922回】

デヴィッド・ボウイ大回顧展に行ってきました...天王洲アイルの倉庫でやるってのもどんなもんだか興味がありました。とにかくかっこいい男でしたね。音楽に留まることなく、役者、絵描きなどなど自分の生き方も含めて、表現に貪欲に戦い続けた真のアーチストであったと思います。貴重な資料、衣裳、映像が各コーナーに陳列されてたのだが、おいらの目を惹き付けたのはパントマイムの映像と三島由紀夫を描いた油絵。イギリスの舞踏家リンゼイ・ケンプ氏の下でダンスとマイムを学んだ彼の奇想天外なパントマイムは、彼にとってのアートが、先ずは己の肉体の可能性をひとつひとつ検証しながら進めていったことを証明してます。これがなかなか上手いんです、才能ある人はなにをやっても様になります。三島由紀夫の絵には驚きました。キュビスムの旗手ピカソを思わせる絵は、まさしく三島由紀夫の本質を捉えている傑作。この絵を描いていた時期は、彼が覚醒剤を断つためにドイツに滞在中での作品。彼は日本的なるものに興味を持ち、あの独特のメイクは歌舞伎の手法を取り入れてのことらしい。入り口で渡されたヘッドホンからは、コーナーごとに彼の声、歌が流れ、彼の全貌を全身で感じ取れる工夫がなされている。
おいらの1歳下だけに、世代的に連帯を感じます。おいらが見た世界と、彼が見聞きした世界のどこかに共通点があるのではないか...そんなこと考えながら2時間があっという間に過ぎてしまいました。

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出火吐暴威

2017/02/13
【第921回】

トム・プロジェクトにも作、演出してもらってる2人の作品を観劇...先ずは、中津留章仁作・演出のトラッシュマスターズ「たわけ者の血潮」。社会の歪みを果敢に暴き出してきた作家が今回も偽りの民主主義に刃を突きつける。意気込みは分かるのだが、延々と続くディスカッションドラマに観客は耐えることが出来るのか?だってお客の芝居の楽しみ方は多種多様、好き嫌いで決められると、この手の芝居は拒否する人が居るだろなというジャンルでございます。芝居小屋にまで来て、社会のこと考えたくない、いや社会から人間関係から逃れたい人達にとっては、なんとも不向きな作品です。芝居は娯楽か啓蒙か?おいらはその両者がうまくブレンドして面白いけど考えさせられたみたいな作品が理想だと思いますよ。でも、そんな優れた作品はそうそう出来上がるもんじゃございません。中津留章仁も悪戦苦闘しながら頂上を目指しながら一歩一歩険しい道を歩んでるのかも知れませんね...

次は、ふたくしつよし作の劇団民芸「野の花ものがたり」鳥取市でホスピス「野の花診療所」を開いている徳永進さんを中心に、この診療所で死を待つ患者と家族の物語。ふたくちさんの人柄がそのまま出た芝居に仕上がっていました。死とは生きる事...誰しもが避けることの出来ない死に向かって生きる事の意義を考えさせてくれる芝居でした。笑いも交えて歴史ある劇団員の生活感溢れる演技が印象的でした。

考えてみりゃ、この東京って街、凄くありません?一年通して様々なジャンルの芝居・音楽が途切れることなく上演されてるんですから...でも、やりゃいいってもんじゃございませんよね。おもろくないもの最初に見ちゃったら一生、芝居なんぞ見ない人生になっちゃうんですから。おいらも肝に銘じて創らなあきまへんがな。

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たわけ者の血潮

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野の花ものがたり

2017/02/10
【第920回】

久しぶりに富山に行って参りました...北陸新幹線が運行され、北陸が脚光を浴び金沢への観光客が随分と増えたらしい。おいらは金沢の手前、新高岡で下車し、一時間に一本しか走っていない城端線に乗り換え砺波に行ってきたのです。市章、市旗に描かれてるチューリップで有名なところです。おいらはチューリップを見に行ったのではございませんよ...となみ演劇鑑賞会が呼んでくださった「萩咲く頃に」を観に行ったんです。鑑賞会の事務局長の上田さんによると、5万人弱の町で1200人の会員さんがいるんですからたいしたたまげたでございます。しかも15年間会員さんを増やし続けているのですから驚き桃の木山椒の木(さすが昭和世代の言葉がついつい出ちまうんですな)。全国の演劇鑑賞会が会員を減らしている昨今、ここの鑑賞会はしっかりと芝居が何故、今の世の中になくてはならないものかを確認しながら会の運営をしてるんですね。おいら創る側からするとなんとも力強い応援団でありますが、一方、こんな方々にいい加減な芝居は観せられないという責任も感じます。この日、1月10日の横浜公演以来久しぶりの観劇だったのだが、さすがベテランの音無美紀子さん、大和田獏さんが織りなす夫婦のシーンは、まるで夫婦漫才を見ているかのような厚みのある芝居に変貌しておりました。深刻なテーマの芝居であるだけに客席からの笑いは芝居に立体感を持たせてくれます。藤澤志帆、森川由樹、西尾友樹、三人の若手俳優も24ステージをこなしてきた自信に溢れる演技を魅せてくれて一安心です。

終演後、キャスト、スタッフ全員で地元の美味しい料理と酒を飲みながら、この日の芝居のチェックも含め楽しい夜を過ごすことが出来ました。日本全国各地に、様々な人達が楽しみに芝居を待っているなんていう素敵な国がいつまでも続きますように...

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車窓からの風景

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手作りの掲示板

2017/02/08
【第919回】

昨日、NHKで阿久悠特集の歌番組やってました。この昭和の類い希なる作詞家は国民栄誉賞を貰わなかったのが不思議なくらいです。いや、こんな国家の肩書きばかりの賞なんて糞食らえて思ってるのが阿久悠らしくていいのかもね...それにしても、彼の描く世界が、まるで万華鏡みたいで見事の一言に尽きる。アニメから演歌、ポップス様々なジャンルを遊び心満載で書き綴った言葉の山脈の大きさと世界に驚嘆するばかりでございました。この歌番組で存在感を示したのが北原ミレイの「ざんげの値打ちもない」の絶唱。14歳の女性が愛というものでない感情で男に抱かれ、15歳の誕生日に安い指輪と一輪の花を贈られ愛という名に相応しくない心と身体を捧げ、19歳になると男との関係が上手くいかなくなり細いナイフを光らせて憎い男を待ち伏せして...と、ここまではおいらも良く聴いた歌詞だったんだが、昨日はカットされた幻の4番の歌詞を初めて聴きました。

あれは何月 風の夜  とうに二十歳も過ぎた頃
鉄の格子の空を見て  月の姿がさみしくて
愛というのじゃないけれど  私は誰かがほしかった

この主人公の女性、男を殺したのか傷つけたのか分からないけれど犯罪者になって刑を終え、その心境を5番の歌詞に託したんですな。

そしてこうして 暗い夜  年も忘れた 今日のこと
街にゆらゆら 灯りつき   みんな祈りを するときに
ざんげの値打ちも ないけれど  私は話して みたかった

男と女の激しくも切ない心情を、これまた同じような人生をさすらった北原ミレイが歌うと、この日出演した歌手の皆さん申し訳ないけど、もう一度人生なるものをいかに歌として人前で表現するかを熟慮なさったほうがよろしいんじゃございませんか?と生意気ながら感じましたでござんす...たかが歌されど歌。

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2月の夕陽

2017/02/06
【第918回】

昨日、家の近くを3時間ほど遊歩しました。携帯のウォーキングカウンター見ると13000歩歩いていましたな...庭のあちこちに梅がちらほら顔を覗かせていました。途中、ドラッグ店に入りトイレに入ろうとしたのだが、男女兼用のトイレなかなか先客が出てきません。入り口に、おばあさんらしき人が待ってました。ようやく30代半ばの母親と2,3歳くらいの女の子が出てきました。おいらが「もういいんですか?」と聞いたのだが、無言のまま立ち去ろうとするので、おいらは返事を待たずトイレに入りました。ところが便器の中にはウンコ塗れのおむつが入っており水で流しても、勿論流れません。おいら、すかさず出て行ったおばあちゃん含めた3人組を追いかけ「駄目じゃないですか!トイレットペーパー以外は流さないでと書いてありますよ...」と問い詰めたのであるが、この3人組逃げるように店を出て行きました。何故か子供だけが、母親が強引に引っ張る手を振り払うように、おいらに向かってつぶらな瞳で「ごめんちゃい...」と訴えかけているようにも見えました。おいらは、それ以上追いかけることもせず、店の人に事情を話して今すぐ処理しないと水浸し状態になる事を告げました。いやまあ、こんな母親に育てられる子供が不憫に思えてきました。最近、日本各地でも中国観光客のマナーがいろいろと取りざたされてますが、日本人も随分とマナーの質が落ちてきていますな...車内、街中、レストラン、美しい佇まいの中に至福の時間が生まれるもんです。他者を意識しない感覚から人は、そして国は滅びていきますぞ...

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母ちゃんしっかり育ててよ!

2017/02/03
【第917回】

立花隆著「武満徹・音楽創造への旅」を読了...知の巨人、立花隆が20年前にインタビューしたものを中心に書き綴った700ページを越える大作である。しかも二段組みと来てるからなかなか前には進みませんでしたが、あまりの面白さについつい読んじゃいました。先ずは稀代の前衛音楽家である武満徹の極貧時代から始まり、監督黒沢明との確執がありながらも映画音楽を作曲し日本映画の最盛期に新たな映画音楽を確立した世界の武満徹の人間性、人生を細部にわたるまで取材し加筆した立花隆の底力に拍手を送りたい。立花隆の書庫を何度か写真で見たのだが、この人の知に対する貪欲な生き方に圧倒される。政治から文学、美術、医学、宇宙にいたるまで果てしなく続く知の旅は読者を魅了してしまう。雑誌記者時代にゴールデン街に「ガルガンチュア立花」という店を出し、幾多の人脈を形成していった。今は立花の名を外しながらも存続する、この店においらも44年くらい通ってます。

この本を読みながら感じたことは、昭和という時代で日本の文化も衰弱していったのではないかということ...お金は無くとも筋金入りの精神が巷に溢れ、より新しい刺激的な作品を競う様に創り出す土壌が昭和という時代に確かにあったということ。この昭和という、文化というものが比類なき輝きを放っていた時代においらも立ち会えたことに唯々感謝でございます。しかも戦後であることに更なる感謝です。そして、一年前に97歳で亡くなった母に、引き揚げの中、困難の中、流産することもなく無事産んでくれた奇跡に、これまた感謝です。残り少ない人生、世のため人のために生きんとおっかさんに怒られますばい...

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赤く染まる富士

2017/02/01
【第916回】

新宿でランチをした後、ちょいと珈琲でもという時に立ち寄るのがDUGである。日毎少なくなっていくJAZZ喫茶の中でも老舗のお店である。心地よい音が流れるなか、歴史を感じさせるアンティークな椅子、テーブル、そして調度品に囲まれながらの一杯は、まさしく至福のひとときである。オーナの中平穂積氏は写真家でもあり、店内にはマイルス・デイビス、ジョン・コルトレーン、セロニアス・モンクなどそうそうたるメンバーを撮影した写真が飾ってあります。思えば、おいらが50年前に通い出したのがDUGの前身DIG、アルタの裏にあるロールキャベツの店「アカシア」のビルの3階に頻繁に出没してました。私語禁止、唯ひたすらLPレコードから流れてくる情念音に耳を傾け、読書に耽る日々でした。オーナーの拘りで珈琲もなかなかの味でした。あの時代とJAZZがマッチしたスリリングな場所でもありました。おいらも将来はJAZZ喫茶をやるんだと勝手に思い込み、なけなしのお金を捻出しながら、せっせとLPレコードを買い集めていました。
あれから半世紀も経っちゃいました...おいらもいろんなこと体験してきたが、変わらないのは今日もこうやってJAZZ喫茶店をこよなく愛していることです。何事にも拘ることが刻々と減少している昨今、JAZZというジャンルを溺愛するおっさんたちが商売を度外視してやり続けてることに男の美学を感じますな...

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新宿JAZZ老舗 DUG

2017/01/30
【第915回】

運転免許の更新、本日無事、新宿都庁の運転免許更新センターで済ませてきました...昨年、高齢者講習会の案内が来ました。おいらもとうとう高齢者(何度も言いますけど、おいらは肉体も精神も感性も20代だと自負しておりまして、甚だ遺憾でございます)になっちまっただ...よく読んでみると、車の運転実習もあると書いてある。おいら、考えてみれば20年以上車のハンドル握っておりません。しかもAT車なんぞは慣れておりません...いやはや、海外で逆走したことや、一時間運転してると眠くなることなんぞが頭を過ぎります。横の教習所のおっさんに手厳しく「もう一度、教習所で実習してからでないと駄目ですね...」なんて言われるのも癪だし、この際、世間では高齢者による事故の多発が報じられてるし、免許証返上しようかな?なんて考えたのであるが、おいらの性分としては、こんな時にしか車を運転する機会がないんだし、どんなもんだか楽しんでみましょう!なんてポジティブシンキングになっちゃうんですな...武蔵境の教習所に行くと12人の講習者が集まってました。まずは1時間の講義、やたら高齢者の事故が増えてることを強調しまして、なんだか免許証返上を暗に臭わせてる感じがいたしました。2時間目は適性検査、模擬の運転台に座って画面に出てくる歩行者、自転車に対してブレーキ踏んだり、アクセルを操作したり、俊敏性のテスト。おいらは間違い無しのパーフェクト、お隣の2人の画面をちらと見ますと3個、4個のバッテンが付いとりました。ほらほら、おいらは20代と言いましたでしょう...さて、いよいよ3時間目は車の運転、3人が同時に乗り、おいらは2番目。これが良かったんですな...最初のおっちゃんが教習員に聞かれました「どのくらいの頻度で乗ってますか?」「1年くらい乗ってません。」おいらも、この答えで行こうと決めました。「20数年乗ってません...」なんて言おうものなら教習所通いで何万円ものお金を提供しなければなりません事よ。いよいよ、おいらが運転することになりました。車庫入れが?なんて不安が過ぎりましたが、機に敏なるおいらのこと、信号の見落としが1個ありましたがなんなくパスいたしました。
でも、調子こいてハンドル手にすると、おいらのスピード狂が昂じて抜きつ抜かれてのレースとなり、穏やかなおいらの顔も般若の形相になった経験もあることだし、今日頂いた免許証も引き出しにしまっておきますがな...そして、又いつの日かハンドルを手にして、スペインのコスタ・デル・ソルの海岸を疾走する姿を夢見ながら...

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一月の空

2017/01/27
【第914回】

連日寒い日が続いています...この時期、家から眺める裸木、散歩中に目にする裸木がとっても好きです。無駄なモノを削ぎ落とし屹立した姿に感動すら覚えます...春夏秋、様々な人生を過ごしている人達に、いろんな彩りを添えながら、しばしの安息を与えるが如く何気なく咲かせてる花、葉にどれだけ助けられてることか...この世の中に樹木が皆無になった地球を想像しただけで、空恐ろしい気がします。野に咲く何気ない草、小花から何百年も生き続けている大木に至るまで、おいらはこれらの植物と共に共生していることに間違いはありません...裸木の微妙な枝振りを観ながら、情念を押し殺し舞い踊る暗黒舞踏を想像したり、小枝が春に備えて蕾が微かに膨らむ様を見て生命の不思議を感じたり、身繕いしないで勝負している姿に古武士と対峙し、ふと緊張したり、裸木はいろんな表情でおいらに語りかけてきます。
おいおいトランプさん、カードを出すのが早すぎませんか...ちょいと一息ついて、ホワイトハウスの黙して語らない自然体で立ち続ける裸木を静かに観ておくれ...お金のことしか考えていない人種は困ったもんでございます。

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踊る裸木

2017/01/25
【第913回】

山下澄人著「しんせかい」を読み終えた夜に芥川賞が決まった...19歳の作者が、あの倉本聰さんが主宰する、北海道の富良野塾で2年間過ごした30年前の出来事を冷徹な目で捉えた作品である。倉本聰さんのことを「先生」と呼び、住んでた町を「谷」と何度も復唱しながら、自分探しを小説という形で表現した不思議な物語である。作者は目の前にする事実をフィクションに立ち上げたいのだが、上手く言葉にすることが出来ない。その微妙な息遣いがまるで戯曲を読んでるように、こちらの想像力を喚起させてくれる...そこで、作者は過去の自分を思い出そうとするのだが、その過去もどこか曖昧で不確かで答えを出すことが出来ない。それをまるで、その場にいる空気感で言葉にしているところが新鮮だ。作者は22年前の阪神淡路大震災に遭遇し、東日本大震災の事実を目の当たりにして人の生き死にある感慨を抱きつつ、こんな小説を書きたかったのではなかろうか...「先生」と「谷」との間に過ごした時間と居住まいが淡々としながらも内なるマグマがメラメラと感じさせる新しい小説の誕生かも知れない。
なんと言っても、おいらが気にいったのは良くある青春ドラマでも無く、上昇志向皆無の佇まいがほんまによかですばい!己の中にしか「先生」神は存在しないのです...

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裸木と夕陽

2017/01/19
【第912回】

いよいよ明日トランプ登場...これからの世界は何となく第二次世界大戦前の状況に似てはいないだろうか?この期に及んで、世界のあちこちでポピュリズムが台頭し不穏な様相を呈している。トランプには政治的理想、理念が皆無で、集団的熱狂を煽り立て、理性的な議論よりも情念や感情を重視する演説に終始している。あのヒトラーに相通ずるモノがある。アメリカだけではなく、この傾向が世界に蔓延しているのが恐いですな。壁を造り、自国の利益のみを志向する指導者が増えていけば第三次世界大戦も起こりかねない情勢です...そんななか、アメリカの名女優メルリストリープのスピーチは、さすがだと思いました。

この国で最も敬われる地位に就こうとしている人が、障害を持つ記者の物真似をした時のことです。その人物は、真似された記者よりも遥かに強い特権と権力を持っています。それを見たとき、私の心は折れそうになりました。今でも頭から払いのけることができません。なぜならそれは映画の中ではなく、現実の出来事だったからです。
権力を持つ公人がこのような侮辱的パフォーマンスをすることは、人々の生活に影響を及ぼし、また、人々に「自分も同じことをしていいのだ」という認識を植え付けてしまいます。軽蔑は軽蔑を招き、暴力は暴力を煽ります。権力ある者がその力を弱い者イジメのために使ったなら、私たちは皆負けてしまいます。
これはメディアにおいても言えることです

仕事が無くなるかも知れないのに、ここまでトランプ批判発言を堂々とやってのけるアメリカはさすがです。おいらが好きなレディー・ガガも公然とトランプ批判をしています。その点、日本の芸人さんはなんとなく事なかれ主義のところに安住しとりますな。ほんなごつぼけっーとしてたら、この国の若者も戦場に行かねばならない状況がひたひたと押し寄せて来てるのに、今日もあんちゃんねえちゃん呑気にスマホぴこぴこやっとりますし、おっちゃんたちは焼き鳥食べながらたわいもない話で盛り上がってますがな...

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裸木2

2017/01/18
【第911回】

昨日、渋谷に芝居を観に行ったのだが入場料¥10000...芝居の内容はさておいて、おいらの感覚からするとちょいと高くありませんか?この世の中、庶民の皆様が一生懸命働いて一日¥10000なんて言う数字が平均ではなかろうか...一日働いて得たお金が二時間の観劇と等価かどうかは個人差があるにしても、こうやって芝居を創ってるおいらとしては、とてもじゃないけど心苦しく思いますな。こんな高いお金取ってまで芝居創らないかんのかいな...トム・プロジェクトは23年間90本ほどの作品を企画制作してきましたが¥5000以上のお金を頂いたことはありません。消費税が上がったときも、税理士さんに言われました。「上がった分、チケット代に加算していかないと大変なことになりますよ...」そりゃそうだ!経済原理からしても至極当然なことであるし、経営者として当然やるべきだと思うのだが、そんなお金掛けてまで芝居を創る必要があるのか?と、思ってしまいます。限られたお金の中で創意工夫しながら良質な作品が創れるはずだし、それを成し得るのが優れた企画制作者ではなかろうか...人間の叡智は果てしない無限の可能性を秘めているし、それを信じたいと思います。高いチケット代を設定しないと演劇やれなくなったら、おいら足を洗います。観る側も創る側も、無理なく劇場に足を運べる環境で継続できることをモットーに今日もあれこれ思いを馳せておりますばい...

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裸木

2017/01/16
【第910回】

先週の土曜日、下北沢の本多劇場に木の実ナナさんのコンサートに行ってきました。一昨年のトム・プロジェクト「南阿佐ヶ谷の母」の沖縄公演で、大腿部を骨折しながら車椅子で公演を続けたナナさん、その後を心配していたんですが見事な公演でした。2時間休憩無しで歌い弾み、骨折の後遺症を感じさせない復活振りでした。70歳になるのに美脚と笑顔はまさしくショーガールそのもの、55年のキャリアをまざまざと魅せつけてくれました。芸人のしたたかさ、ど根性は半端じゃございませんな...そして、なによりも歌が大好きなことが身体全身から溢れ出ています。美空ひばり、石原裕次郎、越路吹雪さんたちの歌を尊敬しながら愛をこめて歌う姿に、聴き手も思わずうっとりとしてしまう立ち姿に拍手。様々な環境の中から身につけた庶民の哀感を、己の懐にしっかりとしまい込み熟成させ肉体を駆使しながらお客に伝える芸人は、やはり選ばれし民だと思いますな。努力したから出来るモノではございません。人生の諸々を享受する受信器と、人に伝える発信器が優れてないと駄目なんです。だからして、この世の中の若者に言いたい!舞台に立って台詞喋ったり、騒音まがいの歌を歌ったり、汗かきながら狂喜乱舞したから役者じゃありませんことよ...己の限界を早期に気づき、違った人生に軌道修正することも、勿論有りですよ。だって、生きる楽しみ、それこそ十人十色、自分探しにも繋がる大冒険の旅ですぞなもし...

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元気になったナナさん

2017/01/13
【第909回】

今年のトム・プロジェクト最初の作品「萩咲く頃に」がスタートしました。2014年に創った作品です。東日本大震災から3年目、この事実に向き合えるにはそれなりの時間がかかり、なんとか舞台に出来たと言うのが正直なところです。水俣、震災、戦争などなどテーマは重いけど、誰かが声をあげないとなし崩し的社会の流れで人の記憶から薄れていくのが、おいらはどうしても容認できまっせん。芝居も興行ですから、楽しく面白く日々の辛さから逃れられる作品が好まれるのも重々承知の上のことでございます。そんなおいらの思いに共感してくれるスタッフ、キャストの皆さんには本当に感謝しています。志を共有できる芝居仲間がいる限り、まだまだ芝居創ってみようかなと思っていま...本音を言うと、この日本のあらゆるシステムについて呆れ絶望してます。そんな社会に見切りを付けて、おいら歳も歳だし晴耕雨読なんて生活もいいんだが、心身ともに青年だもんで(と勝手に粋がって勘違いしてるかもしれませんことよ)ついつい内なるカルマが頭をもたげ、このまま傍観者でいてたまるか!なんてことになっちゃうんですな...

「萩咲く頃に」1月10日に横浜でスタートしました。5人のキャストのチームワークがすこぶるよく初演に比べてレベルアップしていました。終演後、音無美紀子さんの旦那様、村井國夫さん共々初日の乾杯を、みなとみらいの夜景を眺めながら乾杯しました。2月一杯、中部、北陸を巡業し、3月の下旬に東京公演。今年も、こうやって無事にスタートできたことに唯々感謝です。まだまだ芝居の神さんトム・プロジェクトを見捨てておらんですな...ありがたいことでございます。

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みなとみらいの観覧車

2017/01/10
【第908回】

辺見庸「1☆9☆3☆7」、佐野眞一「唐牛伝」、鳥居歌集「キリンの子」を読了...先ずは辺見庸の圧倒的かつ濃厚な380ページにわたる文体に、彼の遺書めいたものを感じる。1937年に起きた南京大虐殺を軸に、当時戦地にいた父が中国人を殺めたに違いないと言う思いから、当時軍に協力した作家、映画人を次から次にぶった切り。辺見庸の意図は、この国の民がいつも時流に身を任せ狡く立ち回る姿に寛容になれないし、これを今尚引きずっていくこの国の姿に楔を打ち込みたかったに違いない。

「唐牛伝」大阪前市長橋下徹の件で3年ばかり休筆を余儀なくされた筆者の最新作。60年安保当時、全学連委員長だった唐牛健太郎の足跡を地道に取材して、この時代の匂いを醸し出している。おいらは、70年代の全共闘世代であるのだが、共通して言えることは学生運動が持つ純粋性と組織が持たざるを得ない矛盾。結局は巨大なる権力の壁はあまりにも厚く敗北を余儀なくされるのだが、この本に登場する学生運動の闘志の中にも、その後組織に属さず自らの信念を貫き生きた人達を、いろんな人の証言に基づいて丹念に描き出している。その中でも唐牛健太郎は、居酒屋店主、漁師など様ざまな職業を経験しながら、日本列島を北から南へと漂流したデラシネ人生。おいらも似たような人生なので共感できますな...妾の子として生まれた唐牛の女性に対する接し方が愛おしい。

「キリンの子」の著者は母が小学5年の時に目の前で自殺、 養護施設で虐待、中学の同級生の自殺にも遭遇。壮絶な人生のなかで31文字の短歌に目覚め、類い希なる感性で多くの作品を生み出した。頭でっかちで創られた言葉の遊びがぶっ飛んでしまう真に迫るモノがあります。改めて言葉の持つチカラ、魔力、魅力、精霊を感じます。己の言葉を見いだせば人は蘇生し他者にも生きる事の意義を伝えることを出来るお手本みたいな歌集です。

おいらは今年も、あらゆるジャンルの本を読みながら、己の言葉探しの旅を続けたいと思ってます...自宅では好きなジャズを聴き、ちょいとシェリーで喉の渇きを潤いさせながらの読書タイムは至福の時間でございます。

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新春のスカイツリー

2017/01/04
【第907回】

あけましておめでとうございます。

今年も始まりましたな...でも、最近は正月気分も元旦ぐらいで2日からは社会も動きだし、日常感覚に染まってしまいます。普段と違うところは青い空に空気が綺麗なこと。これは大切なことと言うより、普段の汚染した風景はお金と欲望を追い求めすぎて自然の恵みを忘れてしまった代償ですな。もうええやんか...原発も含め利便性の追求をお休みして、のんびり散歩しながら近場の生き物の気配を楽しむ生活ににチェンジしませんか?といっても、日本も含め世界の政治家、企業家は声高にやれ行け!それ行け!と民衆を煽り、不安にさせとります。そこでだ...今年から己の思考、行動手法を見直し自立の道筋を考えてみませんか?ほんまに、政治も行政も企業も市井の人達のことなんかこれっぽっちも考えておりませんことよ。そこに気づかん限り世界はアウトですわ...とまあ、年頭から背筋シャキッとしながらもボチボチいきますわ。

今年もよろしくお願いします。


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大宮八幡宮 元旦